魔女について知っておくべきこと

谷崎 聖子

はじめに

 ここで取り上げるのは、まずその名前を聞いたとたんに微笑を誘うような、そんな者についてである。この人畜無害な想像上の生き物が、今も昔もどれほどの苦しみと死を招いたかは信じがたいほどである。もちろん魔女自身は被害者で、それを信じた人々、それをカトリック教の名のもとに悪く利用した人々のことである。魔女信仰は中世の末にその最盛期を迎え、ヨーロッパ中に数千人もの哀れな「魔女」が命を落とした。仮に誰かを魔女として指名した場合、当時の発達した拷問道具でそれを証明することは難しくなかった。その後はもう、火あぶりの刑から逃れる術はなかったのである。

 多くの魔女裁判によって、様々な階級から成る「魔女の封建制度」があったことも分かっている。その被害者のほとんどは老女であったが、中には若い女や男性も含まれていた。

 ハンガリーでは一八世紀の中旬に、公式には魔女の処刑は廃止されたものの、村社会の中では、今現在でも魔女信仰は生きていることは驚きである。魔女と見なされた者は村八分にされ、蔑視されて恥じを偲んで過ごすことになる。これは精神的に大きな傷となるのは言うまでもなかろう。


いつから魔女は存在するか?

 その起源は、キリスト教以前のヨーロッパの信仰世界にあるとされる。ヨーロッパにまだ一体の宗教がなかった頃の話である。様々な民族が、妖精のような想像上の生き物を信じていた。これが魔女の祖先のようなものである。ゲルマン民族ではワルキュール、ノルナ、スラヴ民族ではヴィラ、フィン・ウゴル族ではブシュトゥルガーン(ここからハンガリー名の魔女ボソルカーニュはくる)と呼ばれていた。これらはふつう美しい女性で、男性に害をおこすと言われている。


魔女はどんな姿をしている?

 最も広く知られたのは、ほうきにのって空を飛ぶ醜い老女の姿であろう。魔女は悪魔の相棒であるため、姿を隠すのが上手いとされる。ほとんど全ての動物に変身できる。また赤毛の女の子も魔女であると言われていた。


どうやって魔女であるかが分かるか?

 魔女の選別には数多くの手段が使われていた。その一部は、現在村でも試されていると言う。

 一・もし誰かが魔女であるなら、動物に姿を変えられるはずである。例えば馬になるとしよう。そして魔女は土曜日の真夜中に集会に出かける。(ブダペストにも有名な場所があり、それはゲッレールトの丘であるとされる。)すると誰かが覗き見をし、その動物に何らかの印をつける。例えばてい鉄をつけたり、おしりに文字を焼き付けたりする。それからはもう、これが魔女ということの決定的な証拠となるのである。

 二・もし魔女なら、動物にのろいをかけることができる。例えばウシの乳がでなくなると、魔女が来たといわれる。その犯人を知るには、そのウシを布で覆い、棒でたたくことである。するとウシは痛みを感じず、のろいをかけた主である魔女に苦痛を与えると信じられている。そうすれば犯人は現れ、どうかウシを叩かないでくれと懇願するのだそうだ。

 三・もし魔女なら、軽いため、水に沈まないはずである。これは昔に、魔女は幽霊のようなものと信じられていた名残である。

 四・十二月一三日のルツァの日に、教会に木でできたいすを運ぶ習慣がある。その何種類もの木からなるいすの上に立つと、誰が魔女であるかが分かるそうである。その後、魔女につかまらないよう急いで家に帰らなければならない。もしケシの実があれば、それを撒くと魔女が拾っている間にうまく逃げ帰ることができるだろう。


魔女から身を守るには?

 一般的には、キリスト教のシンボルを使うことである。例えば、十字架、教会で聖められたもの、聖書の祈りの言葉、ニンニク、野生動物の死骸(フクロウなど)によって守ることができるという。


魔女は何をするのか?

 ひょうを落としたり、つむじ風を起こすと言われる。魔女の復讐を恐れるなら、つむじ風にナイフを落としてはいけないといわれる。なぜなら、つむじ風が魔女自身であるからである。あらゆる摩訶不思議な自然現象を魔女に結び付けていた。

 子供や若い母親の病気を起こしたり、夜中に安眠を妨げたりするのも魔女の仕業だとされる。また門の柱で、ウシの乳を搾ることができるともいわれる。

「魔女の円」と呼ばれるのは、森で見られるキノコが円状に生える現象のことである。それは魔女が円状に踊った跡だと信じられている。


魔女はどんな風に生活するか?

 一般には、孤独で風変わりな人が魔女とみなされる。二重生活を送っているという。昼間は普通の人のように生活をし、夜は悪魔や他の魔女と交わって非道徳的になる。


魔女になるためには?

 こうした能力を、あらゆる手段で得ることができる。学び取ることができ、獲得することもでき、そして相続することも可能である。はじめの二つの場合、困難な試練を乗り越えることが求められる。聖ジュルジの日(四月二四日)に、十字路の真中で様々な試練が待っているという。

 魔女は不死であるが、他の人物に触ることによってその能力を渡すことができ、その際には死んでしまう。もし近くに誰もいないなら、ほうきに能力を与えることもできる。

 このような魔女信仰の根底をなすのは、何千年もの間に作り上げられた自然に対する恐れであろう。初めはいたずら好きで、人間と共存していたはずのものが、次第に悪のシンボルとして憎しみの対象となっていった。そこに中世キリスト教の残酷さがよく現れているだろう。今日でも、セーケイ地方などの村に行けば様々な魔女にまつわる話を聞くことができ、興味深い。このように魔女信仰は深くヨーロッパ文化に根付いているのである。


(パプリカ通信2004年1月号掲載)