スポーツを解析する(その9)
盛田 常夫
2003年東京国際女子マラソン。レース前に絶好調と言われていた高橋がよもやの大ブレーク。2時間20分を切るどころか、並のタイムでゴールした。ロード・レースの記録の比較は難しい。気象条件で4−5分の違いが出ても、少しもおかしくない。だから、今回のような強風と気温では20分は切らなくても、23−24分で走りきれば十分価値のある記録だが、最後にブレークして27分台というのは、何かあったと見なければならない。
当日の条件を考えれば前半は飛ばしすぎだったというのが、各メディアの分析。しかし、前半を飛ばしたという割に、中間点の記録が良くない。もちろん、コースは曲がりくねっているから、前半が追い風で、後半が向かい風という単純なものではないが、概ね前半は追い風、後半が向かい風。東京のコースは前半が長い下り、後半がその逆になるから、後半が前半より早くなることはない。ところが、高橋の中間点タイムは1時間10分03秒で、山口衛里の大会記録より30秒近くも遅い。このタイムだと、2時間22−23分が最終タイムになるはずだった。ということは、当日の天候状態を割り引いても、高橋の状態は絶好調と言われたほど良くなかったということだ。
東京のコースは最初の5キロが高低差30mの下り。ここはタイムが速くなる。帰りはその逆になる。法政大学の市ヶ谷キャンパスの堀向こうが外堀通り。三島由紀夫が割腹自殺をした市ヶ谷自衛駐屯地を過ぎてから、四谷にかけて長い坂がある。ここが最後の難所。高橋はここで完全に足が止まった。残り3キロの地点である。疲労していなくても、ゴール直前の高低差30mの坂はきつい。高橋はこの坂にはいる前に、もう足にきていた。だから、ほとんど歩くように坂を上っている。アレムに追い抜かれても、ついて行くことはできなかった。
しかし、強風もきつい坂も、高橋はボルダーのトレーニングで経験済みだし、コースの状況も良く分かっていたはずだ。にもかかわらず、これまで経験しなかった大ブレーキに陥った。35キロから残りの距離は、ほとんど素人ランナー並のタイムで走った。明らかに、状態が良くなかったところに、強い風、高い気温で予期せぬ消耗が起きた。
一般に、脚力と心肺機能は相対的に独立している。高橋は呼吸機能に何の問題もなかったが、脚が動かなくなったと話している。もちろん、脚が動かなくなってしまうと、今度は呼吸も苦しくなってくるが、それまでは呼吸と脚の疲れは相互に独立している。
いったん脚がくたびれてくると、酸素を余分に供給しようと心肺機能に余計な負担がかかってくる。その意味で完全に独立しているわけではないが、レース中に心肺機能が急激に落ち、それが原因でブレーキになることはない(無理な加速運動がないという条件で)。ところが、脚力は筋肉疲労とエネルギー代謝の度合いで、日々、状態が異なっている。筋肉の疲労度が早いと、心肺機能に何の問題がなくても、足が重くなっていき、スピードが落ちていく。こうなると、どうしようもない。大会前には脚の疲労はとっていただろうから、当日のエネルギー代謝に問題があったと見なければならない。小出監督が明かしたように、高橋の当日の体重はベストより2〜3キロ少なかった。あるいはもっと少なかったのかもしれない。そこに問題がある。
マラソン選手はぎりぎりまで体を絞っている。高橋のベスト体重は45−46キロと言われている。大会前には43キロだったという。レース直前の2〜3日はあまり食事をとっていなかったというから、スタート時点ではもう少し軽い41−42キロにまで落ちていたのではないか。高橋は意識的にレース直前に減量したと思う。この推測には理由がある。
今回のレースでは強敵がいないから、タイムで勝負しようと考えた。調子がよいので、少しウェイトを落として、スピードが乗るようにしようと考えたのではないか。小出監督が吐露したように、「帰路の坂を上るのに、軽い目の方が良いから、ベスト体重より少なくても良いか」、と。
さらに、ラドクリフが観戦しているという情報が、高橋の闘争心に火をつけた。本人は関係ないと言っているが、やはりスピードのあるところを見せ、ダントツで勝つという「入れ込み」があったはずだ。そのためにも、「もう少しだけ体を軽くしたい」という欲求に駆られたのではないか。
ここに落とし穴がある。時間をかけた減量ではなく、急激な減量はエネルギーの消耗を早くする。これはボクシング選手や重量挙げの選手など、体重制限がある競技で良く経験されることだ。競技直前の減量はエネルギー代謝の源泉になる糖質の蓄積を妨げ、代謝を媒介するミネラル分を失わせる。いわばガソリン(糖質)を少な目に搭載して、オイル(ミネラル)が過少な状態の車を想定すればよい。絞った体からの減量は水分(冷却水)の絞り出しになり、それとともに各種のミネラル分も失われる。高橋は糖質と水分を切りつめた状態で走った。
マラソンを走ると、10kmでほぼ800g〜1kgの体重が失われる。水分が汗となって消失していく。途中で水分を補給しても、がぶ飲みする訳ではないから、補給量は限られている。40km走れば、少なくとも3キロは体重を落とす。もし高橋が42キロのウェイトで出発したとすれば、30km過ぎた段階で、すでに40キロ以下にまで体重は落ちていただろう。今回のような暑い天候では、水分の消失も早かっただろうから、それだけ水分の補給が難しかった。小出監督が、沿道から「水、水」と大声で叫んでいたのはこういう理由がある。もちろん、水分を補給しなければ、体がヒートアップし血液循環がうまくいかないが、それ以前に、糖質を燃やすエネルギーの代謝に問題があり、終盤でガス欠状態になったと考えられる。新しいエネルギーの生産がエネルギー消費に追いつかず、疲労物質が筋肉に早く蓄積され、脚が止まった。ガス欠(糖質不足)によるエネルギー代謝の不全が生じたと見てよい。
月刊雑誌「ランナーズ」が市民ランナーを選んで、2003年ニューヨーク・マラソンを走る企画があった。小出監督が応募者から3名を選び、彼らに半年のトレーニング計画を与え、ボルダーの合宿にまで連れて行く企画だ。この3名のうち、石川多鶴さんはニューヨークの本番で自己記録を30分弱縮める3時間8分で走り、今回の東京国際マラソンの市民マラソンの部でも3時間10分で走り、小出監督のアドヴァイスとトレーニングが結実した。
この企画のWebサイトで気になったのは、42歳72キロの男性だ。小出監督の最初の指令は、「大会前まで、7ヶ月で12キロの減量」だった。確かに、72キロの体重でマラソンを走るのは無理。ふつう、2−3キロの減量で、100m平均タイムで最低1秒(42kmで7分)は縮まる。この計算でいけば、10キロの減量で、どんなに悪くても35分は短縮できるはず。ところが、この男性は減量に成功したが、自己記録を12分しか短縮できない3時間44分でニューヨーク・マラソンを走り終えた。明らかに、この男性の場合、7ヶ月のトレーニングは完全に失敗だった。この程度の短縮なら、数キロの減量でも達成できただろう。
この男性のレポートをサイトで読むことができるが、ニューヨーク本番直前はやや目眩がする状態だったという。厳しい減量で、鉄分などのミネラル分も失われ、貧血気味になっていたと思われる。こういう状態でマラソンを走っても、記録はでない。
小出監督も四六時中この男性の面倒を見ていたわけではないから、アドヴァイスの適否を簡単に判断できないが、明らかに減量に関して適切な指示を欠いていた。減量のテンポや栄養補給を細かく指示しないと、食事制限だけでは解決しない。競技直前の減量は厳しくストップさせるという指示も必要だった。小出監督は減量の負の部分を軽く考えていたのではないか。それが高橋のレース直前の減量を見逃すことになった。
マラソン選手の体重は非常に軽い。日本選手の平均体重は、女子が45−46キロ、男子が53−54キロである。これだけ軽くないと、あれほど速く走れない。だから、選手は体を絞れるだけ絞っている。もちろん、無闇に絞れば良いわけではない。だから、最適なウェイトを念頭におきながら、トレーニングと食生活の調和を図っている。
高橋はレース直前になって欲が出た。「出発前に、もう少しだけウェイトを落としたい」。これは選手の誰もが一度は考えることだ。高い気温と強風が、この高橋の「焦り」を「失敗」に導いた。
オリンピックで勝つのは難しい。連戦連勝のラドクリフが勝つとは言えない。8月末のアテネの暑さは11月の東京の比ではない。暑さの中の減量を身にしみて会得した高橋は、失敗から学ぶものが多かったと考えるべきだろう。ラドクリフが経験していない暑いレースを体験できたことの意味は大きい。並のタイムで終わったとはいえ、今の日本選手の中で、30kmまでの5kmを16分台で刻める選手は高橋を措いていない。ラドクリフのスピードに対抗できるのは、やっぱり高橋しかいないのだ。
12月の福岡マラソンでも、大本命の高岡寿成がやはり最後にブレークを起こした。これで男女ともアテネの代表選考が難しくなった。頭を抱えているのは陸連だろう。というのも、世界のスピード・レースで互角以上に戦えるのは、女子の高橋と男子の高岡だからだ。女子が30kmまでの5キロを16分台、男子は最後まで15分代前半のタイムで走る。スピードのない選手は25kmまでに振り切られてしまい、勝負にならない。どういう展開になれ、この二人なのだ。その大本命の二人が揃って最後の最後にエンストした。ここは高橋も高岡も、最後のエンスト対策を十分に練って、アテネで最後の力を発揮してもらいたい。両名とも、アテネが最後の舞台になるはずだ。
(パプリカ通信2004年2月号掲載)