ハンガリー民話、民間信仰のなかに生きる“タールトシュ”

谷崎 聖子

タールトシュとは?

 魔術師、超能力者、魔女、神父など、これに似かよった者をいくつか挙げることができるが、基本的にハンガリーに固有なシャーマンのことである。語源は定かでないが、「開く者」という意味からくるともいわれている。現在でも、村から村へと放浪するもの(乞食や占い師など)をそのように呼ぶことがある。また別な意味で、賢いものを示す言葉としても使われるという。

 シャーマンは主にシベリア地方からアジアにかけて存在する者で、神父であると同時に治癒者(医者)でもあり、占い師でも、相談役であるともいわれる。このシャーマンを中心とした政治・宗教のシステムは、ハンガリー民族が1000年に国家を建設する頃まで続いていた。しかしキリスト教を受け入れると同時に、この「古い異端の」シャーマンたちは迫害を受けていったのである。それでもこの古い信仰の名残は、なお人々の習慣の中に根付いていった。

 18世紀以降、ようやくシャーマン信仰の研究が始まると、民間信仰のタールトシュと、民話の主人公のタールトシュ少年は、シベリアのシャーマンと同じであることが証明されたのである。


タールトシュには誰がなれるか?

 民間信仰によれば、「タールトシュとして生まれてこなければならない」。ほとんどが男性で、生まれたときにすでに歯が生えていたり、6つの指があるものがタールトシュになるといわれている。もし両親がそれを恐れて、歯を抜いたり、指を切ったりしない限りはそうなる。そうして育った子供は、他の子とは全く違った振る舞いを見せるようになる。歯が二列生えたり、7歳まで母乳を飲んだり、嵐を恐れ、寂しがり屋で、閉鎖的な性格であるという。


どのようにしてタールトシュになるのか?

 普通は本人の意思とは裏腹にタールトシュになってゆく。というのも、何かに長いこと苦しめられるからである。この肉体的苦痛はかなり過酷なもので、様々な試練を乗り越えなければならない。伝授されたものの記憶によれば、まずタールトシュは病気にかかり、何日も意識不明のまま床につく。この間、何か超人的なもの(他のタールトシュや悪魔、魔女など)が体をバラバラにした後、ふたたび元の形に組み立てる。しかしこの段階ではまだ、タールトシュとしての能力を得たにすぎない。周囲のものにその特別な力を見せなければ、通過儀式を終えたとはいえないのである。

 ハンガリーの民話で最も重要なモチーフのひとつが樹であり、いわゆる世界樹、天まで届く樹のことで、この樹は上界(天)と下界(地)とを結び付け、シャーマンは樹の助けを借りて神々の元へたどり着くことができるという。つまり、まず樹に登れることを証明して、次に樹の上にある世界を見つけて、試練を乗り越えなければならない。私たちのよく知る民話にも、これに似たモチーフが見付かるであろう。


タールトシュの馬

 ハンガリーの民話でもうひとつ大切なものが、タールトシュの馬である。これはタールトシュにとって不可欠な相棒で、燃える灰を食べ、風のように速く走ることができるといわれる。まさにシベリアのシャーマンにとって、儀式に使われる太鼓のようなものである。シャーマンが太鼓を打つリズムは、馬の走る様を真似したもので、よく鳴るようにと灰のほうに向ける(つまり灰を食べさせる)。また太鼓を馬とよんで、話しかけることもしばしばある。


どんな姿をしているか?

 その特徴の一つに雄牛に変身することが挙げられる。嵐が吹き、暗雲が立ちこめる中、幾度も他の雄牛(タールトシュ)と闘わなければならず、それによってタールトシュとしての地位も決まるといわれる。タールトシュには雄牛の角がある、と信じられているのはそのためである。または、鶏の羽で頭部を飾ることもある。


何をするのか?

 休むことなく村から村へと放浪して周り、人々に牛乳と卵を求める。その他は何も求めないのだが、もしそれを与えない場合は、村人たちに天罰を下すのだそうだ。タールトシュはひょうを降らすことが出来るので、村の畑は大きな危害をこうむることになる。そういうわけで人々はタールトシュを恐れ、その恐怖心がこの謎の人物についての信仰をなおあおり立てているのであろう。

 ちなみに個人的な体験として、トランシルヴァニアの村を訪れたときに、村の人に牛乳を求めたことがある。するとペットボトル一杯にしてくれ、お金も受け取らず、その後も村で数々のもてなしを受けて帰った。もしかすると、こんなところにもタールトシュ信仰の跡が残っているのかもしれない。



 ハンガリーがキリスト教を受け入れて1000年の記念祭が、数年前に行われた。それでもこの時ほど、それ以前の「異教徒時代」に関しての興味の大きさは見られなかったであろう。これらの数々のモチーフは1000年ものキリスト教の下で、失われることなく残ってきたのだが、今でもなお演劇や文学、映画、音楽や美術などの様々な分野において新しい形で表れている。

 こうした遊牧時代の信仰文化は、現代の芸術作品のインスピレーションとなりつづけているのである。ハンガリー人の「東方」に対するロマンチックな憧れも、ここに発しているのかもしれない。


(パプリカ通信2004年3月号掲載)