スポーツを解析する - その一三

「ナンバ」走りと初動負荷理論(その一)

盛田 常夫

 昨年(二○○三年)パリの世界陸上選手権で、末續慎吾選手が二百米で銅メダルの快挙を成し遂げた。末續選手の走法には他の欧米選手にない特徴がある。まずスタートで両足をほとんど揃えるように構える独特のクラウチング・スタイル。これには審判のクレームが付いた。第二は腕の振り。短距離には珍しく、腕を大きく振らず、肘から先を腰辺りに巻き付けるように小さく振る。第三は脚(ストライド)を完全に伸ばさない着地。これらは皆、従来の短距離走法の観念と相反する。

 この世界陸上で、もう一人気になる選手がいた。女子一万米で銅メダルを獲得した中国の孫英傑選手だ。日本のホープ福士加世子が出場したこのレースでは、福士が早々とトップ集団から遅れ惨敗することになったが、孫は奇妙なスタイルで最後までトップ争いを演じた。彼女は末續選手以上に腕の振りを抑え、手先を腰の線より下に置いたまま、見た目にほとんど腕を使わないで走っているようだった。腕を使わないでどうやって速く走れるのだろうか。

 この二人に共通するのは、いわゆる「ナンバ」走り(矢野・金田・織田著『ナンバ走り』光文社、二○○三年一一月)という走法である。これは小山裕史氏が「初動負荷理論」(小山裕史『「奇跡」のトレーニング』講談社、二○○四年一月)として理論化したものと同じ原理である。もっとも、小山氏は「ナンバ」という名称は誤解だとして、「ナンバ」という用語を使わないが、主張している原理は同じである。他方、小山氏の「初動負荷」という命名も、理論の本質を表現する名称として適切とは言えない。

発想の転換

 「ナンバ」走りあるいは初動負荷理論と称される動作の特徴は、筋肉の動きより、まず骨の動きを重視するところにある。この点はなかなか理解しづらいところだ。たとえば野球の投手を例にとって見ると、西武の西口投手は長身で非常に細身だが、速い球が投げられる。これにたいして、ウェイト・レーニングを重ね、腕力のある外人投手が、西口以上に速い球を投げられるとは限らない。ここがスポーツの面白いところで、多くのスポーツでは筋力以上に意味をもつ動作が存在する。それが骨の動き、つまり骨格の動きなのだ。野球の投手の場合は、肩胛骨の使い方が重要になる。いくら筋肉が付いていても、合理的な骨格の動きがなければ、筋力を最適に利用できない。逆に、それほど筋肉が付いていなくても、骨格の動きを最適に利用できれば、大きな力仕事ができる。フォームが良いというのは、別の視角みると、最適な骨格運動ができているということなのだ。初動負荷理論(ナンバ走り)が提唱しているトレーニングの本質も、この点に尽きる。

 もう一つ、良い事例がある。少年時代に鉄棒の蹴上がりに挑戦した人なら分かると思う。何度も何度も挑戦して、ある日突然にできるようになる。これは練習の積み重ねというより、体の動かし方の体得なのだが、ここにも骨の動きが作用している。大腿骨と骨盤の二つの骨格を一枚板のように動かしていたのでは、いつまでたっても蹴上がりはできない。これを二つの骨格として別々に動かせるようになり、大腿骨が受ける浮力を骨盤に伝えて、骨盤を押し上げることできるようになると、蹴上がりが完成する。まさに、蹴上がりの「コツ」は、「骨」の動かし方にある。大腿骨と骨盤を一緒に動かしている限り、蹴上がりはできないのだ。

 スキーのモーグルやパラレル滑降でも同じである。この場合は、骨盤が常に正面(谷側)を向くように安定させ、大腿骨を左右に動かすという動作になる。骨盤を主軸として姿勢の安定性を確保して、滑降面でのショックを膝で受け止め、骨盤の姿勢を崩さないことで安定した滑りができる。ここでも、骨盤と大腿骨をそれぞれ独立した骨格として動作させることが、滑降の安定性を維持している。

 このように、いろいろなスポーツでは、骨の使い方、骨格の利用の仕方が、本質的な要素になっている。いくら筋力を付けても、合理的で最適な骨格の動作に裏付けられないと、力が最大限に発揮されない。このことが分かれば、トレーニング方法にも発想の転換が必要になる。

体幹の捻れを避ける

 陸上競技界では腕を大きく振ることを推奨する伝統的なスタイルをとるコーチと、腕の振りを最小限にすることを推奨するコーチの二手に分かれる。高橋尚子の小出監督なども、後者を推奨している。「そういうことを言うと、他のコーチの批判になるようで言いたくはないが」と付け加えながらも、小出監督は腕の振りを重視しない。同じように、「ナンバ」走りも初動負荷理論も、腕の振りを小さくすることを推奨する。どうしてだろうか。

 左足を振り出した時に右肩を前方に押し出し、右足を振り出した時には左肩を前方に押し出すのが、これまでの短距離の伝統的なストライド走法だ。肩を押し出すために、腕の強い振りが必要になる。しかし、良く考えてみると、左足を振り出そうとしているのに、右肩を前方に押し出すのは、左足の振り出しを抑制するからスピードの減速要因にならないだろうか。また、この走法では肩の前後の動きが激しくなるのではないだろうか。短距離ではかなり激しく腕を振るが、長距離では皆、腕の振りを小さくし、肩の揺れを最小限に走っている。それには運動の合理性があるということだ。短距離の場合には、スピードの減速の要因を、筋力でカバーしているとも言える。長距離の場合には、短距離では見えない不合理が減速要因になりうる。

 それでは、動作としてのストライド走法の不合理性はどこにあるのだろうか。左足を振り出す時に右肩を前方に押し出すと、体幹に捻れ現象をひき起こす。この「捻れ」が骨盤から大腿骨、さらに下肢へ繋がる筋肉の「共縮」(co-contraction)を引き起こし、これが筋力のエネルギーロスを生じさせるだけでなく、共縮によって筋肉・靱帯へ無用な負荷を与えることになると主張するのが、小山理論である。どの筋肉も弛緩(短縮)状態と緊張(伸縮)状態を交互に繰り返すことで運動をおこなっており、足でも腕でも、表と裏の筋肉でこの変化を交互に逆におこなうことで、運動が自動的におこなわれる。ところが、無理な動きや捻りがあると、裏と表が同時に緊張状態(共縮)になり、これが筋肉の炎症や靱帯の損傷をひき起こす。その具体的事例の一つが、筋肉の痙攣(硬直)である。弛緩状態になければならない筋肉が、疲労から逆の緊張状態に陥り、その状態から抜けられなくなる。これと同様に、体幹に捻れが生じると、目に見えない筋肉の緊張状態が発生する。だから、この捻れ現象を最小限に抑えることで、筋肉や靱帯への損傷を防ぎ、筋力をより効果的に発揮できるようになる。

「ナンバ」と「摺り足」

 ふつう、「ナンバ」というのは、「右足と右手、左足と左手が同時に出る動き」をいう。しかし、初動負荷理論も「ナンバ」走りも、このような動作を推奨しているわけではなく、その意味で「ナンバ走り」という表現は誤解を生みやすい。小山氏も誤解の元だと批判するが、両者の考え方の基本は同じである。この両理論が主張するのは、右足を振り出す時に右胸を右足に乗せるようにし、左足を振り出す時に左胸を左足に乗せるようにするという点に尽きる。この動作によって、垂直軸が形成され、その上に上体が乗るようになり、無駄な捻れやエネルギーロスがなくなるので、地面を蹴る力が最大限に利用できる。

 このような走法をとると、肩の前後の動きは自然と最小限に収まるが、手は腰周辺で小さく回すような運動になる。走っている本人の感覚では、手はほとんどリズムやバランスをとるだけという感じになるが、外から見ると伝統的走法に比べ力強さに欠ける印象を受ける。いわば腕は体内の動きに沿ったリズムで動かすだけで良い。スキーのストックのように、ほとんどバランスをとるために腕を使うだけになる。逆に見ると、速く走ろうとして腕に力を入れるのは無駄だということになる。末續選手や孫選手の走法は、奇異に見えるが、それはあくまで伝統的な走法からそう言えるだけであって、運動力学的には合理的だということが分かる。日本のマラソン選手が強いのは、ピッチ走法で、腕の振りを小さくして、合理的に走っているからとも言えるのである。

 「ナンバ」のように手と足を同方向に同時に動かすわけではないが、気持ちとしてそのようにし、足に胸を乗せていくようにすれば、合理的な走りができるというのが、「ナンバ」走りや初動負荷理論を提唱する人々の主張である。

 もっとも、動作が遅くなるようなスポーツでは、この動作は完全に「ナンバ」になる。たとえば、相撲の摺り足などは、「ナンバ」のもっとも典型的な事例である。脇を締め、左右の腕で相手の脇腹を「押っつける」というのが、相撲の基本の攻めである。その為に、力士は摺り足の練習をする。この摺り足はまさに「ナンバ」そのものである。踏み出す右足に右腕を乗せ、左の足に左腕を乗せる。右(左)手で押っつける場合には右(左)足をだすが、これを足と手を相互に逆に動かすと力がでない。

 ボクシングでフックを打つときも、これと同じだ。左(右)フックは左(右)足に乗せて打つ。左足を踏み込んで右フックは打てない。

 登山で疲れてくると、最初は左右の肩に反動を付けて、一歩一歩に力を入れようとするが、それも疲れてくると、今度は右足に右手を、左足に左手を添えて登ることになる。その方が力も出るし、楽なのである。それには合理的な理由があり、体の垂直軸を形成して、力をもっとも有効に使うことができるからである。

 このように、ユックリした動作では、まさに「ナンバ」的な動きになるが、走るような速い動きの場合には、手と足が同時に動くことはない。その代わり、腕の振りが最小限になるのである。


(パプリカ通信2004年7・8月合併号掲載)