踊り人生、待ったなし 第1回
鈴木 仁
「ハンガリーの民俗舞踊って、どれくらいの数があるんでしょう?」よくこんな質問を受けます。こんなとき実は返答に困ってしまいます。そもそもハンガリーの踊りは個人、またはカップルごとに自由に踊るものなので、最もポピュラーなチャールダーシュにしても「踊る人の数だけ踊りがある」ということもできるからです。(民謡の例のほうがわかりやすいでしょう。バルトークやコダーイに代表される民謡収集の活動により、現在では15万以上の民謡が楽譜として記録されています。) まぁこれは大げさですけど、村ごとに少しずつ踊りは違うので、区別しようと思えばやっぱり、「(調査されて知られている)村の数だけは少なくともある」と言えるでしょう。何か雲を掴むような話で、あまりにお答えとしては不親切ですね。
じゃ、質問をこう換えてもらいましょう。「ハンガリーの民族舞踊って、どれくらいの種類があるんでしょう?」これならわかりやすくお答えできます、すなわち、無数にある踊りはハンガリー民族の舞踊全体の中でどのように分類されているか、というのがお答えになります。
もちろん分類の方法もいろいろありますが、今回は最もスタンダードな歴史的な分類を元に、ハンガリーの踊りを紹介したいと思います。
実はこの歴史的に分類では、たった2つの大きなカテゴリーに分けてしまいます。それは「起源の古い踊り」と「新しい踊り」です。この境目は19世紀にあります。余りにも大雑把な分類ですが、踊りというのは、歴史的資料が残りにくい上に、常に変化するので、現存の踊りからの想定が難しいのです。さらに19世紀にハンガリー語圏全域に均等に及んだ新しい踊りの流行(ヴェルブンクとチャールダーシュ)が、古い踊りを凌駕していったのです。これでは歴史をさかのぼることは困難ですよね。
さて「古い踊り」を見てみると、ダンス=タイプというものが漠然としていて、同時に地域差が大きいです。要するに細々として全国共通というものがないんですね。これは、民俗集団のたどってきた歴史的・社会的・文化的な発展が一律でなかったために生じた位相差を示しています。「新しい踊り」は、逆に短期間で広域に普及したので、ダンス=タイプは、全国的に見て均一です。しかし、発祥してまだ時間があまり経っていないので、古いスタイルの踊りに見られるような形態面での豊かさや構造面での密度の高さには及びません。
この新しい踊りは、国内においても国外においても、ハンガリー民族の国民性を表現する象徴となったものです。(チャールダーシュは有名ですね。) 急速に広まった背景には、19世紀の1世紀間、国土全体で支配的だった統合化へのうねり、統一的な国民文化を創出しようとする大きな社会運動も、少なからず影響を及ぼしています。
さて、もう少し細かく見てみましょう。まず古いタイプに属するジャンルは大きく4つに分けられます。少女たちの踊るサークル=ダンス、武器あるいは道具を使った踊り、古いスタイルの男性舞踊(ウグローシュ=レゲーニェシュ舞踊族)、そして古いスタイルのカップル=ダンスです。
少女たちの踊るサークル=ダンスは、楽団の演奏なしで、自分たちの歌だけで踊られるものです。ステップは自由度はなく単純です。どちらかというと踊ることより歌うことの方が主目的といった感じです。実際に村の生活でも、これは踊りとはされず、踊りの埋め合わせとしての役割を与えられていました。今日この踊りは、ハンガリー語圏のなかでは、部分的にしか分布していません。あらゆる村で踊られているような高密度の普及が見られるのは、パローツ地方と、南トランスダニューブ地方に限られています。
次に武器や棒、道具を使った踊りです。武器を使った踊りはヨーロッパの各地に残っています。昔は踊ることに儀式的意味があったようですが、現在ではほとんど見られません。ハンガリーでは棒を使う踊りとして主に残っています。この中でも最も古いスタイルを残しているのは、ツィガニの決闘的なものです。ハンガリー民族の中では古いスタイルよりも技巧化された新しいスタイルが伝えられています。
古いスタイルの男性舞踊として、2つのタイプ、ウグローシュとレゲーニェシュがあります。ウグローシュは現ハンガリー領で、レゲーニェシュはトランシルバニアで主に見られます。この2つはあまり似ていませんが、系統的には近い踊りです。
ウグローシュ(飛び跳ねる踊り)は前述の棒・道具を使った踊りと融合してしまって、切り離すことは難しいのですが、これはこれで別起源の踊りです。男性舞踊として分類されていますが、女性も、カップルでも、グループでも踊ることがあります。さらに道具を使ったり使わなかったりといったヴァリエーションがあり、大きな舞踊群をつくっています。今日では道具を使わない踊りの方が主流なのですが、それは儀式的な意味を持たないが故なのかもしれません。
レゲーニェシュ(若者の踊り)は逆に男性限定の踊りです。技術的にもかなり洗練され、ハンガリー舞踊の花形の一つといってもよいでしょう。実際にも、各自自分の技術を披露する「見せ物」としての役割を持つ踊りです。
古いスタイルのカップル=ダンスは、チャールダーシュの流行の影響でほとんど残っていません。生き残りの中で有名なのは、セーク村に残るカップルダンスでしょう。いまでも村に残っているのに加え、ハンガリーのターンツハーズ(民族舞踊のダンスハウス)ではほぼ必ずかかるメジャーな曲です。ターンツハーズに行かれた方は一見チークダンスのような踊りを見たことがあるかもしれませんが、あれがそうです。他にはジメシュ地方のチャンゴー人の踊りに見ることができます。
さて、今度は新しい踊りです。これはたった2種類、ヴェルブンクとチャールダーシュです。
ヴェルブンクという名称は、オーストリア=ハンガリー帝国の常設軍の新兵卒募集の方式に由来しています。(werben:ドイツ語で「募兵する」)そこでは、18世紀の後半頃から、新兵卒獲得のための手段として、音楽と踊りを伴なう宴会風の募兵活動が次第に頻繁に使われました。ただ、この徴兵の踊りが現在のヴェルブンクの形になるのはもう少し後、19世紀のことで、それまで踊りには前述のウグローシュ=レゲーニェシュを使用していたようです。(なお、ヴェルブンクは男性舞踊です) 面白いのは、募兵活動では決められた振り付けで踊られていましたが、これを自分たちの踊りとして取り入れた庶民は、即興で踊るようになったことでしょう。こうしてハンガリー舞踊の創造性を保っていったのです。なお音楽も踊りも、ウグローシュやレゲーニェシュに比べて重厚な感じです。
さて最後にチャールダーシュです。ヴェルブンクの流行と共に、その音楽のヴェルブンコシュ音楽も広がっていったのですが、誰かがその音楽に合わせてカップルで踊ってみたらどうかと試してみたんでしょうね、それが意外にうまくいった。そこから一気に流行が始まったようです。だからヴェルブンクに続く形でチャールダーシュも全国に急速に拡がっていきました。
技術的なところに注目すると、チャールダーシュは、単純な回転と休憩のステップを基本としつつも、古いカップル=ダンスのあらゆる動作が一つにまとまった形でおさまっています。つまり、古いスタイルのダンスの特性が,新しい舞踊観のもとで再評価され統一化されて、いわば国民ロマン主義の精神に則って「近代化」された姿で含まれているのです。またチャールダーシュとヴェルブンクの音楽の基本は同じですから、チャールダーシュの伴奏のなかでもヴェルブンクの旋律は頻繁に使われつづけたし、同様に踊りの上でも、ヴェルブンクの動作要素やモティーヴは、チャールダーシュの踊りのなかでもそのまま使われるようになりました。つまりパートナー同士わかれて男性が一人で華麗に踊るとき、男性はヴェルブンクを踊るのと全く同じように、そのモティーヴを踊ることができるのです。こうしてチャールダーシュは一粒で二度おいしい踊りになりました。
今日見られるような地域差の小さい全国共通の様式が定着したのも、「チャールダーシュ」と呼ばれるようになったのも、さらには、国民舞踊としての押しも押されぬ地位を獲得したのも、19世紀前半のこと。その流行は、ヴェルブンコシュ音楽の一つの分枝として生じたチャールダーシュ音楽や、新しいスタイルの民俗音楽とともに、急速な勢いで普及していき、20世紀の始め頃までには、他のダンス=タイプすべてを押しのけて、唯一優勢な踊りとなっていったのです。
さて、ハンガリーの民族舞踊をその歴史と共に見てきましたが、いかがでしたか?かなり端折ってしまったところもありますが、これでハンガリーの踊りについてより興味を持っていただけたら幸いです。
(パプリカ通信2004年9月号掲載)