踊り人生、待ったなし 第2回

ターンツハーズ誕生の裏話

「踊る阿呆に見る阿呆…」という言葉があるように、踊りを見てると、そのうち自分も踊ってみたく なるのが人情だと思います。民族舞踊の世界には、私たちのそんな気持ちにも応えてくれる場所があり ます、それは「ターンツハーズ」(英語にすればダンスハウス)。ここでは、舞台公演のように踊る人と 観る人が別々の空間にいるのとは違い、踊りが好きなハンガリー人たち(うまい人も初心者もいます)と 一緒に踊ってみることができます(踊りを肴にしながら飲み食いするのも可)。いまではターンツハーズ の存在は地球の歩き方にも載ってるほど有名ですね。夏休みも終わり、9月18日には朝まで踊りまくる 「ターンツハーズ開き」が行われ、これからシーズンになります。

というわけで、今回のテーマは「 ターンツハーズ」。でも、実際のタ ーンツハーズについては、百聞は一 見にしかずということで、下手な解 説はいたしません。その代わりに、 僕の師匠が大きく関わった「ターン ツハーズの誕生」について書いてみ ようと思います。


キーワードはセーク村

 ターンツハーズ誕生を語るときには、 セークという、現ルーマニア領・トラ ンシルバニアにある村の名前が何度も 出てきます。この村はルーマニア当局 の、住民・村々のルーマニア化が進め られたトランシルバニアにおいて、ハ ンガリー人の村として残った数少ない 村の内のひとつです。それゆえルーマ ニア人の影響をあまり受けていない多 くの民謡、そして舞踊が残り、歌い踊 られています。

 このセーク村の音楽について、ライ タ・ラースローという民族音楽研究者 が、一九五四年に論文を書いています。 十数年後、ビハリ舞踊団で踊りを教え ていたノヴァーク・フェレンツは、こ んな素晴らしい音楽のあるところには 、素晴らしい踊りがあるに違いないと 考え、セーク村の踊りをテーマにして 学位論文を書きあげました。

 さらに彼はビハリ舞踊団の教え子を セーク村に連れて行きました。そこに は村の習慣として、お祭りの時以外に もしばしば若者たちは、踊るために集 まることがありました。この集まりの ことをセーク村の人たちは「ターンツ ハーズ」と呼んでいました。

 村人が自由に、そして時には即興の 技をお互いに見せ合いながら、楽しく 踊っているのを実際に見て、体験した ことは、ビハリ舞踊団のダンサーたち に 大 き な 影 響 を 与 え ま し た 。 つ ま り こ ん な 気 持 ち が 芽 生 え た の で す 、 「 舞 台 に向けての練習だけでなく、空い た 時 間 に は 自 分 た ち の 楽 し み の た め に 、村で踊られているように自由に踊 りたい」と。

 一九七二年五月六日、ビハリ舞踊団 のダンサーたちはセーク村の民俗衣装 に身をくるみ、三つのアマチュア舞踊 団(バルトーク、ヴァシャシュ、ヴァ ドロージャ)のダンサーたちを招待し て、セーク村の踊りを踊る会を開催し ました。名前はセーク村での呼ばれ方 を借りて、ブダペストのターンツハー ズがここに誕生したのです。


クローズドからオープンなターンツハーズへ

 この最初のターンツハーズは盛会の 内におわり、当然の事ながら、この一 回きりで打ち止めではもったいないと みんなが考えます。そして、そんな中で こんな声がでました、「こんな素晴らし い踊りは、ダンサーだけのみならず、世 間一般の人にも知ってもらいたい、そし て踊ってもらいたい」と。これがター ンツハーズ運動へとなっていきます。

 この時点でビハリ舞踊団はクローズ ドな(舞踊団のための)ターンツハー ズを考えていました。時は今から三十 年以上前、共産主義の時代です。当時 は自由に集会もできない社会でしたか ら、この考えはもっともです。結局、 ビハリ舞踊団はオープンなターンツハ ーズのホストを引き受けず、この役目 はバルトーク舞踊団へと移りました。 (当時の舞踊団長が、僕の師匠のティ マール・シャーンドルです。)

 バルトーク舞踊団は、踊りを知らな い人のために、踊りの講習を導入しま し た 。 つ ま り 、 会 場 の 前 ( 楽 団 の 近 く )では、自由に踊ることができ、後 ろ半分では踊りの基礎ステップの講習 が平行して行われるというスタイルを 確立したのです。


ターンツハーズ運動を 支えた人たち

 さて、バルトーク舞踊団がターンツ ハーズ運動の中心になったことはここ までにして、それ以外にターンツハー ズ運動に大きく関わった人たちをあげ ておきます。

 まず、演奏を引き受けたのはシェブ ー・フェレンツとハルモシュ・ベーラ です。当時、ブダペストで村の楽団の ようなスタイルで演奏できたのは彼ら だけだったのです。シェブーは現在国 立民族舞踊団の芸術監督、ハルモシュ は 今 も 現 役 で カ ラ マ イ カ ・ タ ー ン ツ ハーズで演奏しています。

 そして、踊りの学術的な裏付けを取 っていたのが、マルティン・ジュルジ 他の研究グループ。マルティンは残念 ながら若くして亡くなりましたが、彼 の残した研究結果は今でも色あせるこ とはなく、当時の民族舞踊界の大きな 助けになったことは想像に難くありま せん。(たとえば前回の僕の投稿は、 彼の論文をベースにして書きました)

 これらの人々については、またの機 会に、別のテーマで登場したときに詳 しく書いてみようと思います。


おまけ

 初心者にまずお勧めしたいターンツ ハーズが、フォノーというCD製作・ 販売をしているところのターンツハー ズです。水曜日によくやってます。C D売り場とビュッフェがあるので、見 てるだけでも間が持ちます。

 他にはマルツィバーニ・テールのチ ャーンゴー・ターンツハーズとかが踊 りの輪に入っていきやすいところでし ょうか。

 ターンツハーズを舞台にした映画も あります。Vagabondという二 〇〇二年製作のもので、実際にいって み る の は ち ょ っ と … と い う 方 に 。 ち な み に 本 物 の ダ ン サ ー と か 民 俗 音 楽 家 が け っ こ う 出 演 し て る の で 、 知 っ てる人にとってはそんな楽しみ方もあ ります。

(鈴木仁)



パプリカ通信2004年10月号掲載