トコロかわれば...
鷲尾亜子
コネ、カネ、知恵。この三つは、どこの国に行っても、程度の差こそあれ重要だろう。そして、この世の中が どんなに科学的な進歩を収めようと変わらないだろう。
ハンガリーのように、制度として自由や公正な競争が制限されていた旧共産主義圏では、巧く世間を渡ってい くためにこの三つを兼ね備えていることがなおさら大事だった。だからこそ驚くほど広範囲に渡って社会に根を 張り、そして発展したのだ。今回は、まずその「コネ」について。
数年前のある日のこと。休暇で南仏に向かう道中、 その電話はかかってきた。
「日本大使館に、知り合いはいるか」と夫の親戚。
なんでも、その親戚の友人か同僚の娘Aさんが、日 本の文部省による国費留学の試験を受けたという。詳 細は忘れたが、一次試験では合格ラインに入っていた ものの、二次試験で上位三人まで合格のところ四番目 の成績で惜しくも枠からもれた、という類の話だっ た。そこで、日本人である私の「コネ」を駆使して、 Aさんを枠内に入れさせて欲しい、という頼みだっ た。電話の向こうで、この親戚は、Aさんがこれまで 日本留学を夢見ていかに勉強してきたか、本来は優秀 なので奨学金を受けるに値する人物であることなどを 力説した。
私の頭からは南仏の太陽やらチーズ、ワインやらが 消え去り、とたんに機嫌が悪くなった。コネで奨学金 をとろうというのはいかがなものか。だいたい私はA さんさえ知らない。仮に知っていたにしても、考えは 変わらなかっただろう。Aさんが合格になったこと で、本来狭き門を突破して合格しているにもかかわら ず、はじき出される学生はいったいどうなるのだ。そ んなことに加担できるはずがなかった。
「残念ながら、知り合いは全くいません」
力説はまだまだ続くようだったが、きっぱりと退け た。「いや、知り合いはいるけれど、でも、、、」な とど自分の考えを説明(お説教)しても、馬耳東風だ っただろう。逆に説得し返されてはたまらない。ここ はさっさと「いない」と言っておいた方が賢明だった。
この話を後日、日頃から親しくしているハンガリー 人友人にした。「けしからんでしょう。もう、こんな 風に頼まれるのも嫌だし、頼む親の顔を見てみたいわ よ」と盛り上がりたかったのに、返ってきた反応は、 意外にもあっさり、「え、そりゃ当たり前でしょう。 何が悪いの」だった。
彼女曰く、実力があっても、試験の質問項目次第で 運悪く不合格になることがある。もともと完璧に公平 な審査などないのだから、コネを使ったっていい、と いうのだ。確かに試験は水物。それに、短時間の面接 で各志願者の実力を見極め、順位をつけるのは至難の 業だ。本来教育の専門家ではない大使館員が面接官で あれば、さらにそうだろう。
しかし所詮、入学試験なんてそういうものではない か。そして、人生には納得いかないけれど、そうなっ てしまうことだって数々あるのだ。そのような時、ど うする?
コネやカネを駆使して結果を覆すか、結果 は真摯に受け止めて次のチャンスを狙うか、または他 の道を探しそこで努力するか。
日本でコネといえば、血縁、地縁からくるものを想 像するが、ハンガリーでのコネは「知り合いの、知り 合いの、知り合い」のように細―い糸を辿っていくよ うなものが多い。だから私のような人間でも「ひょっ として」と頼りにされるのである。
日本への国費留学を狙う二〇代半ばの男性が来たこ ともあった。決めの一言は、「僕の父は、外務省の対 EU関連の幹部なんだけど」だった。
こんなのもあった。高校卒業を前にしたある女の子 に進路を聞くと、父親が高名な学者であるため、彼が ある短大において非常勤で教鞭を「無報酬で」とるか わりに、彼女がその短大に試験無しで入学できること になった、というのだった。
どちらの場合も、話を聞いて唖然として、腹が立っ たのは言うまでもない。共通しているのは、自分の力 で勝ち取ろうとするのではなく、たまたまその地位に あった親など周囲の者を利用して便宜を図ってもらお うとしていることだ。しかも、この二人、そんなこと をまるでアイスクリームを頬張りながらお喋りするか のごとく、しれっと言う。そこには後ろめたさが微塵 も感じられない。若いうちからこんなでは、この先ど うなるのだろう。こういうことは、せめて目を伏せが ちにでも語って欲しいものである。なぜなら、自分 の無能さを開けっぴろげに認めていることではない のか。
そもそもこの世の中、人間あるところにコネあり、 であろう。一般的に実力主義、自由競争への信望が厚 いと考えられているアメリカだって、相当なコネ社会 である。アイビーリーグだって、単に優秀な学生だけ が合格するのではない。由緒正しき家や富豪の子弟だ ったり、映画スターのように一芸に秀でたりしていれ ば合格するのである。
ただし、やはり「コネ」の根 の張り様を大きく左右するの は、「南ファクター(貧富の 意味での南)」と「共 産主 義ファクター」だろう。 アジアで代表的なのは、 例えば中国であったり ベ ト ナ ム で あ っ た り する。ヨーロッパだ っ て イ タ リ ア や ギ リ シ ャ は 血 縁 、 地縁が強いとよ く聞く。
共産党一党支配下のハンガリーでは、昔はバナナ一 本手に入れるのにも「コネ」が必要だったらしい。誰 が誰を知っていて、誰が何をできるのか、それぞれが ギブ・アンド・テークの関係で結ばれていた。当時は、 正攻法ではモノが手に入らない、医療などの相応の サービスが受けられない、学校に入れない、就職でき ない、だからコネが必要だったのだ。日本の戦後もそ んな か ん じ だ っ た か も し れ な い 。 ハ ン ガ リ ー の 場 合 、 特 に 五 〇 、 六 〇 年 代 は 皆 が 金 を そ れ ほ ど 持 っ て い る わけではなかったから、コネはカネより大事 だったという。
現在のハンガリーと日本に限って、あえて比 較してみよう。日本にだってもちろん「コネ」 は あ る が 、 両 国 の 大 き な 違 い は 、 コ ネ に 対 す る倫理観である。日本で「コネ」と言えば、 どこか陰湿で、否定的なイメージがつきまと う 。 コ ネ を 使 っ て 就 職 し た り 入 学 し た り す る 人 間 は 隠 す も の だ し 、 そ れ を 知 っ た 周 り の人間はヒソヒソと揶揄するものである。し かしハンガリーではそうしたジメジメしたも の は な く 、 コ ネ は 立 派 に 市 民 権 を 得 て い る 。生きていくための一つの当然かつ重要 な手段、武器と考えられてきたし、それが 現在も続いている。
そういう意味では、彼らの「コネ」に対するイメー ジは、むしろ日本語で言う「人脈」から受けるものに 近いかもしれない。日本で「人脈」と言えば、仕事 な どの「ネットワーキング」を通して後天的に築いた 人間関係を想像する。学閥の人脈もあるだろうが、 たいてい自分の努力により築いたところが大きいか ら、実力のうちの一つ、とむしろ肯定的なイメージが ある。ハンガリー語でも人脈はkapcsolat 、コネはprotekció と違う言葉を使うものの、イメージ的には 人脈がコネを包含してマイナスイメージではない。
コネを巡るもう一つの日ハの違いは、ハンガリー の場合、断られてもいいから「とりあえずお願いし てみる」である。言わないでいてチャンスを逃す方 が阿呆なのである。日本のように「こんなことを頼 んだら品格を疑われるのでは」という心配はない。 そもそもコネ使いに罪悪感、羞恥心がつきまとわな いのなら尤もではあるが。
八九年の体制転換で、民主主義、自由市場経済が 導入されたといっても、コネを生んだり助長したり する背景が大幅に改善されたわけではないから「コ ネ」のパワーは相変わらずである。
普通数週間かかるパスポートの発行を数日にして もらうため、良い医者になるべく早く診てもらうた め、子どもを入学・就職させるため、などコネを駆 使するのは日常茶飯事である。皆がコネを使ってい るから、コネを使わないと「不当に」長く待たされ る結果となってしまったりする、という歪んだ構造 は相変わらずなので、正直者はバカを見るのである。 国営企業の民営化や、各種公共事業のための入札で も、落札者は「コネ」または「カネ(賄賂)」、も しくはその両方がよく取りざたされている。
もちろん、他人がコネを使ったため、パスポート の発行が一日遅れる者、施術予定日が三日遅れる者 がでてくる。だが、利己的な考えを捨てて、他人を 慮るなどという奇麗事は、現代の物質主義の中にあ っては、国民の衣食住が確保され、それなりのカネ を持って余裕ができ、そして社会がある程度満足い く程度に効率よく公正に動くようになってからでき るものであろう。(そしてそんなことが実現すると したら遠い先の話である。)
冒頭の日本国費留学希望のAさんの話に戻そう。 あ の 時 「 と ん で も な い 」 と 思 っ た 気 持 ち は ま だ 変 わ ら な い 。 た だ 、 息 子 が 生 ま れ て か ら 、 そ う ス ト レ ー ト に 破 邪 顕 正 を 標 榜 す る わ け に も い か な く な った。自分の息子が実際にその立場になり、他の志 願 者 が 皆 「 コ ネ 」 を 使 っ て い る と 知 っ た ら ど う す る だ ろ う 。 本 来 留 学 す る だ け の 実 力 が 無 か っ た 場 合 、 下 駄 を 履 か せ て ま で 行 か せ て も 無 意 味 だ ろ う が、実力は充分、そして「コネ」の一押しがあって 確実になる、とわかっていたら自分はどうするだろ うか・・・。
息子に「コネ」をあえて使わなかった理由を説明 し、自分の力だけで切り開くように教えるか、それ ともコネを使って留学させ、見聞を広めさせるか。 親ならば子どもに自分の与えられる限りの最高のも のを与えたいと思うだろう。しかし、そもそも不平 等、不公平の社会の現状を勘案しながら、その子ど もにとって「最高のもの」の見極めは簡単ではない。
幸い現在の息子は、オムツを取り替えたくない、 と騒いで駄々をこねる程度である。この問題はひと まず棚上げ、先送りである。また後でゆっくり頭を 悩ますこととしよう。