踊り人生、待ったなし 第3回
ルーマニア国内に多くのハンガリー人が暮らしているように、ハンガリー国内に暮らしているルーマニア人もい ます。もちろん、こちらは圧倒的に少なく、およそ二万五千人ほど。これらの人々の一部はルーマニア国境近くに コミュニティを作って住んでいます。普通に考えれば、その内部のことはあまりハンガリー人には知られていない のではと思われます。
ところが、あるルーマニア人の村は意外と多くの人に知られています。それはメーケレーク村(Méhkerék)とエ レク村(Elek)。この二つの村は他でもなく、民俗舞踊で有名になった村なのです。
9月25日、その内のひとつ、メーケレーク村を訪れました。今回はそのことについて書いてみようと思います。
そもそも、今回メーケレーク村に行く ことになったのは、人間国宝(*1) で あ っ た 、 こ の 村 の ダ ン サ ー と プ リ マ ーシュ(楽団のリーダーであるバイ オリニスト)の名を刻んだ記念プレー トの 完 成 式 に 参 加 す る た め で し た 。 ( *2)
当日は僕の師匠のティマール・シャ ーンドルの他に、シェブー・フェレン ツとハルモシュ・ベーラも出席しまし た。五十年ほど前に始まった民俗舞踊 の記録活動で、この村でも取材が行わ れており、僕の師匠たちもこの村の踊 りとその演奏の習慣について取材して いるのです。
しかも、これは資料として保存され るだけではなかったのです。師匠たち は踊りや音楽を村で実際に学び、ブダ ペストに持ち帰って研究しました。そ れが源になって、七十から八十年代の ターンツハーズでメーケレーク村の踊 りを教えることができ、しかもこれは (前回触れた)セーク村の踊りととも に大流行となったのです。
ダンサーのニストル・ジュルジの背 筋の伸びた姿勢や熟練された技は、そ のころのターンツハーズに来ている人 皆がお手本としていました。僕もビデ オで見ましたが、ほんとにすばらしい 踊り方をするのです。これが、ほんの 小さな村の中で形成された民俗舞踊で あることは信じられないくらいです。 (*3)
プリマーシュのコヴァーチ・ティヴ ァダルについてのエピソードもありま す。彼は一九八一年シェブー・フェレ ンツとともにバルトーク・ベーラ生誕 百周年の関係でカナダのセーケイ・ゾ ル タ ン を 訪 ね ま し た 。 こ の 人 は バ ル ト ー ク の 友 人 で あ り 、 バ ル ト ー ク に ル ーマニアの踊りの音楽からバイオリ ン、ピアノへの編曲を許された唯一の 人物です。その彼に、村のプリマーシ ュは一曲引いて見せたそうです。当時 すでに八十歳を越えていた音楽家は驚 きながらそれを聴き、そしてこう語っ たそうです
「ベーラは蓄音機を使って私に『ル ーマニアの踊りはこういう風に演奏し なければならない』と教えたが、生き ているうちにそれを自分の目で見れる とは、思いもしなかった」
そして芸術作品を見るように、村の プリマーシュの演奏をあらゆる方向か ら眺め、彼のまったく知らなかったバ イオリンの演奏法と対面するという人 生最大の経験をしたということです。
さて踊りの話に戻しましょう。この 完成式にはエレク村やほかのルーマニ ア人の村からも人々は集まり、午後に は村の保存会、そしてルーマニア人の 踊りをレパートリーに持ついくつかの 舞踊団が舞台で踊りました。
この中でひときわ輝いていたのがエ レク村の Szabó Péter さんです(この人 も実は人間国宝)。彼は来年七十歳に なるのですが、今でも現役で、舞台に も立ち、すばらしい踊りを見せてくれ ます。
僕たちも師匠の名作である "Kezdôdik a zsok"「ジョクが始まる」 ( zsok = joc ルーマニア語で「踊り」という意味)メー ケレーク村(とエレク村)の踊りを舞 台用に振付けたコレオグラフを踊りま した。師匠は午前中の演説で、メーケ レーク村の踊りは今ではアメリカから 日本まで世界中に知られているという ことに触れたのですが、村の人たちは 実際に見たことはありません。そんな状 況で舞台に上がり、ご丁寧にも司会者が アドリブで僕が日本人であることを説 明したものですから、踊りが始まる前 から拍手を受けてしまいました。曲の 中ほどにちょっとした僕のソロがある のですが、そこでも拍手喝采。ハンガ リーではこういうときに心から拍手をし てくれるので、個人的には嬉しいです。
さて舞台も無事終わり、打ち上げと なったのですが、ここで Szabó Péter さ んとお話ができました。彼とは数年前 にミレナーリシュ・パークで会ってい て、お互いに顔見知りだったのですが (こういうときに周りとは違う容姿を しているのは得です)、話をするのは 初めてです。話によると、なんと十一 歳のときから大人たちに混ざって踊っ ていたとのこと。本当に年季が入って いるというのはこのことでしょう。僕 もまだまだヒヨッコです。「永く踊れ よ」と最後に励まされて、メーケレーク を発ちました。
一生踊れるということは幸せなこと です。僕は彼らのようにはなれないけ れど、少なくともターンツハーズで踊 り続けられる事を願いながら、今日も ダンスに打ち込むのでした。⦆
*1 ハンガリーで一九五三年より日 本での人間国宝にあたる Népmûvészet Mestere という伝統文化伝承者を認定す る制度ができ、二〇〇〇年までおよそ 五百人がとして認定されています。こ の内の四九人が民俗舞踊からです。
*2 ダンサーと演奏者としてほとん ど一緒に活動し、皮肉にも亡くなった のもほぼ同時期、一 九 八 七 年 の 秋 、 一週間のうちに相次いででした。亡く なってから十七年目という中途半端な 年数になったの は 、 記 念 プ レ ートの 作成のために申請していた助成金を、 今年もらえることになったからだそう で す 。でもこれで、毎年 九月の終わりころに二人 を思い出す行事が行われ ることになるでしょう。
*3 ハンガリーの少数 民族の中で人間国宝とし て認定されたのは彼が最 初(一九七二年)
参考資料:
Népszabadság: A prímás és a táncos emléke,
2004.08.18.
A népmûvészet táncos mesterei,
Hagyományok Háza 2001
Abkarovits Endre: Táncházi portrék,
Hagyományok Háza 2002
Sebô Ferenc: Népzenei olvasókönyv,
Planétás Kiadó, 1997
Felföldi László – Pesovár Ernô:
A magyar nép és nemzetiségeinek tánchagyománya,
Planétás Kiadó, 2001
パプリカ通信2004年12月号掲載