ハンガリー い、ろ、は 第1回
ハンガリー、イタリア、ブルガリア・・・。さて、 この三カ国に共通するものは何でしょう。
ヒントは、赤、白、緑です。ここまで来ればもう おわかりですね。そうです、国旗です。ただし、各 色の順番については、正直に告白します。私も、「あ ら一番上は、赤だったかしら、緑だったかしら」と いうものでした。テレビでオリンピックを観戦して いても、時々ハンガリー人が活躍しているな、と思 っていたら、イタリア人だった、ということもあり ました。
今月号は、その国のシンボル、国旗と、国歌を通 してハンガリーを見てみることにします。
ハンガリーの国旗の三色には、もちろん意味があり ます。一番上の赤は、「国のために犠牲となった尊い 血」、真中の白は「国民の清らかな心(平和)」、一 番 下 の 緑 は 「 将 来 へ の 希 望 」 を 意 味 し ま す 。 な に や ら 、これだけでもハンガリーの他民族に支配された悲 劇的な過去の歴史が象徴されているようです。
当然と言えば当然ですが、国旗に使用する色の意味 は、国連などで決められているわけではありません(ま た、決めるべきでもありません)。そのため、イタリア と ブ ル ガ リ ア の 国 旗 は 、 全 く 違 う 意 味 を 持 っ て い ま す 。例えばイタリアの場合は、統一運動のシンボルで、 緑が「国土」、白は「雪」、赤は「愛国の熱血」、ま たそれぞれ自由、平等、博愛も意味するのだそうです。
さてこのハンガリー国旗、もともとは、一八四八年 の対オーストリア独立戦争の時に使用されました。当 時は、フランスの赤・白・青の三色旗パターンがいわ ば「流行」していて、ハンガリーもそれをモデルとし ました。祝日ともなると、街頭によくハンガリー国旗 が掲げられますが、特にこのハプスブルグ家支配に対 す る 革 命 の 記 念 日 、 三 月 一 五 日 に は 全 国 、 旗 、 旗 、 旗 、となります。また、胸に小さな三色の記章をつけ た人も多く見かけます。
丁度、この原稿の締め切り翌日にはその祝日を含む 四連休が始まりますが、今日保育園に息子を迎えに行 ったら、「旗もらったよー!」と小さな国旗を二本手 に走ってきました。旗をもらってきたこと自体も少し 驚きましたが、そのうちの一本は、赤と緑で「塗り絵」 をしたもので、こういうことを保育園で既にするんだ なぁ、愛国心はこうやって教えられていくのか、と思 い入りました。
この国旗、一九四九年に「ハンガリー人民共和国」が 誕生した時には、中央にハンマーと小麦の紋章が描か れていましたが、一九五六年のハンガリー動乱以降、 こ の 紋 章 は 取 り 除 か れ 、 現 在 の 三 色 の み に な り ま し た 。一九八九年に体制転換した際には、国旗の変更は なく、もう一つのシンボルである「紋章」(コート・ オブ・アームス)だけが変更されました。
共産党一党支配時代には、祝日となれば、すべての 建物が国旗、そして全世界の労働者の連帯を意味した 赤 一 色 の 旗 を 掲 げ る 規 則 と な っ て い ま し た 。 現 在 で は 、議会や中央省庁、また市役所など公的機関が常時 国旗を掲げていますが、一般民家が国旗を祝日に掲げ る義務はありません。しかし、特に三月一五日など、祝 日となると国旗を掲げる民家も少なくはありません。
それ以上に、昨今の現象としては、祝日でもないの に三百六十五日、旗を風になびかせている家が時々ある ことです。私の住むlakópark (いわゆるレジデンシャ ル・パーク)でも、約六〇の世帯のうち、二つの家で は常時旗が掲げられています。ハンガリー人友人曰く、 「一年に一度、三月一五日に旗を掲げるのは、並みの 愛国心、それ以外は並々ならぬ行き過ぎた愛国心。」
こうした並々ならぬ愛国心、マジャルの民族意識の 高揚は、昨今は政治的指向と結びついています。(政 党に煽られている、と言った方が正しいかもしれませ ん) 旗を掲げ愛国心を表明しているのは、だいたい においてFIDESZ (ハンガリー市民連盟)支持者です。 FIDESZは現在最大野党で、ナショナリスティック、右寄 りです。FIDESZが公式に、また背後で組織していると思 われるデモ・集会にはかならず国旗が沢山登場します。
一方、隣人宅に大きな旗が掲げられているのを見て、 近 所 付 き 合 い に 距 離 を 置 い た り す る の は 、 ア ン チ FIDESZ です。この中には、与党社会党、自由民主連盟 (SzDSz )支持者も含まれます。ここ数年、ハンガリー 国内は政治的嗜好を巡って、真っ二つに分かれており、 お互いに対する感情は、嫌悪のレベルまで一部到達し て い る よ う で す 。 本 来 国 旗 の 白 と 緑 は 、 「 平 和 」 と 「 希望」を意味するものですが、掲げられている旗を 見て、不穏な気持ちになるのは、私だけでしょうか。
もう一つの国のシンボルと言えば、国歌。(ハンガ リー語では「ヒムヌス」(賛歌)と呼ばれます)歌詞 は詩人・政治家だったクルチェイ・フェレンツが一八 二三年に書き、作曲はエルケル・フェレンツがしまし た。曲は一八四四年に実施された国歌の作曲コンテス トで選ばれ、一九〇三年に国歌として正式に制定され ました。
日本では、学校の入学式や卒業式で国旗掲揚・国歌 斉唱は賛否両論が続いており、私自身も学校で「君が 代」を歌った記憶がありませんが、ハンガリーでは行 事のときに国旗の前で国歌を国歌を歌います。さて、 その歌詞は、と言うと、
「神よ哀れマジャルに 加護を与え賜え 敵と闘う 時 あ ら ば 悪 運 多 き こ の 民 に 救 い の 御 手 を 延 べ 賜 え、 苛み既に長くして 三世の罪を償えば」*
要するに、「過去ずっと負け続けた不運なマジャル 人。もう罪は十分償ってきたのだから、神様、どうか 我々を護り、祝福してください」というものです。ま さに、ハンガリーの数世紀に渡り他民族に支配された苦 難の歴史が凝縮されたような歌詞です。しかも、この 歌詞が書かれたのは一八二三年ですが、その二五年後、 ハプスブルク家支配に対する革命が失敗に終わったの は前述の通り、その後も第一次世界大戦で敗北し領土 を三分の二以上失い、第二次世界大戦でも敗北しまし た。戦後はソ連の影響下、共産主義の下、国民は抑圧 され一九五六年のハンガリー動乱へとつながるわけで すが、それも失敗・・・と、とにかく失敗の連続でし た。ハンガリー人はペッシミスト(悲観主義者)とさ れ ま す が 、 「 だ っ て 、 国 歌 に よ く 表 れ て い る で し ょ う」と周りのハンガリー人はよく言います。
し か し 、 こ の 「 ペ ッ シ ミ ズ ム 」 、 単 に 頭 を 垂 れ て 「 何をやってもうまくいかない、自分にはそんな物事 を変えるだけの能力もないし」というのではなく、屈 折し た プ ラ イ ド が 含 ま れ る よ う で す 。 つ ま り 、 「 本 当 は 、マジャル人は優秀な真実の民であるのに、周辺 国が邪悪なので、その邪悪さに支配された」という風 に取れるのです。
周りのハンガリー人を見ていても、単純なペッシミズムとプライドが混ざり合っている人が多くいます。 尤も、最近の若い世代には、抑圧された経験がないこ ともあるのでしょうか、プライドと自信ばかりが突出 している人も多く見かけます。そして往々にして、そ うした自信は、傍から見ると実力によって裏付けられ たものではなく、「能もない鷹が爪を見せる」といっ たものです。
ハンガリーは一九八九年、体制転換をし、真に独立 し自由を手に入れました。支配する者(=敵)がいな くなった今、本当に国民の心は安らぎを得て、平和に なったのでしょうか。最近は並み以上の愛国心を表現 しないと、「正しいマジャル人」ではないような、見 えないプレッシャーが一部存在しているようです。マ ジャル人にとって、新たな敵とは誰でしょう。いずれ にせよ敵がいるとすれば、外部ではなく、実は内部に いる、または人為的に作られるというのは間違いない ことだと思います。
* 歌詞については、訳がいくつかあるため、ここでは 在 ハ ン ガ リ ー 日 本 大 使 館 の HP よ り 引 用 し た 。 http://www.hu.emb-japan.go.jp/ なお、歌詞は、第八節 まである。
― 「 ハ ン ガ リ ー い 、 ろ 、 は 」 で は 、 主 に 在 留 邦 人 の 方 々 向 け に 、 も っ と こ の 国 を 知 っ て い た だ く た め 、 政 治 ・ 経 済 ・ 社会について、私見(独断と偏 見)も交えてわかりやすく解説 を 行 い ま す 。 ご 意 見 、 ご 感 想 は 編 集 部 へ お 願 い い た し ま す 。
パプリカ通信2005年4月号掲載