トコロかわれば...:第20回

広がる「持つ者」と「持たざる者」の格差

鷲尾亜子

 青少年による凶悪犯罪や性犯罪、ネット犯罪の増加、引きこもりに不登校、援助交際、失業者やニー トと呼ばれる若者の増加・・・、こうしたニュースが日本では毎日のように流れる。

「日本は、いったいどうなっちゃうのかしらねぇ。」
テレビや新聞を見るときの母の口癖である。夏の一時帰国中、いったい何度この言葉を聞いただろう。

 ハンガリー人にとってはうらやむほどの豊かな日本でも、社会問題は山積している。しかし私は、今、 この国で毎日生活をしながら、「ハンガリーこそ、いったいどうなってしまうのだろう」と別の類の危 機感を募らせるのである。今月は拡大しつつある貧富の差について。


持つ者

 この夏、友人Iさん宅のバーベキュー・パーティー に呼ばれた。そこで、ハンガリーの経済格差の縮図を 一度に見たような気がした。

 IT関連企業の共同オーナーであるIさんが、かな りの裕福であることは前々から想像がついていた。ご 自宅はもともと住んでいたのを改築したものでそれほ ど「大邸宅」というのでもなかったが、電化製品は全 部ミーレで、ソファーも、飾ってある花瓶らも私の趣 味とは一致しないが、「調度品」と呼ぶのが相応しい 類のものだった。四歳のお嬢さんの部屋にいたって は、「ここは幼稚園か」と見まがうほどのおもちゃの 量だった。

 バーベキューには、牛ヒレ肉が山のように積まれて 出てきた。神戸牛などに比べれば、芸術的な美しさも 色気もないが、他の部位の二倍以上は値が張るところ である。登場してきた各種のタレの瓶詰めは、「バナ ナ・マスタード」、「パイナップル・ケチャップ」な どという名前だったか、見るのも聞くのも初めてのエ キゾチックな輸入品ばかりだった。注がれるワイン は、店頭販売はしておらず、コネを使って特別なルー トから調達したものだった。

 そのIさんご夫婦と、子供の教育に話が及んだと きのことである。英語教育は絶対必要なので、お嬢 さんをアメリカン・スクールに行かせようか真剣に 考えていると言う。アメリカン・スクールならば学 年によっても授業料は異なるが、施設費を加えれば 年間四百万フォリント程度かかる。他の国際学校は それほどではないが、それでも百万フォリント単位 である。

 Iさんの財力を考えれば、それは驚くことでもない のだが、四百万フォリントは、普通のハンガリー人の 年収の三~四倍である。小学校を卒業するまで通わせ れば、ブダペスト市内ならばまっとうなアパート、地 方ならば立派な家が買えるだけの支出になる。


外から見ても格差

 Iさんのように体制転換以降に「新興金持ち」になっ た人々は、ハンガリー一千万の人口のうち一パーセン トにも達するのか、極々一握りの人たちではあるが、 ブダペスト市内のロージャドンブ(バラの丘)辺りに 行けばごろごろいる。それに、上には上がいる。

 ちなみに、アメリカン・スクールは全生徒約七百名 のうち、最大グループはアメリカ人で一六パーセント。 その次はハンガリー人で一三パーセントである。ブリ ティッシュ・スクールになると、二五パーセントはハ ンガリー人である。純ハンガリー人がわざわざ国際学 校に通う意義や、費用対効果を考えればどうかとも思 うが、そうしたことはさておき、それだけ財力のある ハンガリー人がいる、ということは事実である。

 国際学校に通学する外国人の家庭は、そのほとんど が駐在で全額、または一部の授業料が企業によって負 担されている。こうした駐在員らは、ハンガリーでこ そ「アッパー・クラス」な生活ぶりだが、本国に帰れ ば普通のサラリーマンである。従って、何も彼ら自身 が「金持ち」と言うのではないのだが、ハンガリー人 の「金持ち」は、本当に彼らが「金持ち」なのである。  共産主義時代も、決して皆が平等だったわけではな い。あれこれ法の網を潜り抜け、また地位やコネを利 用して個人の財を蓄えたり、同じ商品やサービスを得 るのに便宜をはかってもらった人々はいる。しかし、 規模的にそうしたチャンスは限られていたし、外か ら見れば、人々の豊かさの度合いなど「どんぐりの背 比べ」だったのではないだろうか。

 体制転換では�諸制度やその他の経済のメカニズム が急速に変化していく中で(または公正なルールが確 立していない中)�それをあざとく利用して急速に富 を拡大していった者が少なからずいた。共産主義時代 に生まれたのがせいぜい「小金持ち」だとしたら、体 制転換以降は、「小金持ち」も、「大金持ち」も生ま れ、外から見ていても「持つ者」と「持たざる者」の 差が歴然とするようになった。


持たざる者

 Iさん宅のパーティーでは、配膳の手伝いや、呼ば れた子供達の相手をしている若い女性が二人いた。二 人は姉妹で、姉のEさんは、いつもは朝六時から三時 まで縫製工場で働いて、その後に毎日四時から夜九時 くらいまでIさん宅で、掃除やベビーシッターをする とのことだった。彼女は北東部ミシュコルツ近郊の小 さな村の出身で、二十五歳。もともとボーイフレンド を追ってブダペスト市にやってきたものの、その後別 れて、今は隣接するブダケシ市に妹とアパートを間借 りしている。

 アパートの家賃、光熱費、食費を支払うと手元には ほとんどお金が残らない。洋服一着を買うこともそう 簡単には行かないが、それができるときは、中国市場 で、と決まっている。将来のために自己投資するお金 はない。もっとも、朝から晩まで働いているので、勉 強したり技術をつける時間もない。そのため、こうし たぎりぎりの生活から脱却できない。彼女の時給で は、バーベキュー肉を一キロ買うのでも何時間か働か なければならない。

 ブダペスト市に住み、ショッピングモールやハイパー マーケットに囲まれ、マクロ経済指標だけを見聞きし ていれば、肌で感じることはできないが、ハンガリー ではEさんのように日々の生活で精一杯、という人が 圧倒的に多い。平均月収が手取りで十万二千五百フォ リント(中央統計局:一~五月期)という国内の所得 水準から考えれば、ハンガリーの物価は決して安くな く、むしろ高い。

 それでも、Eさんはまだよい方かもしれない。国連 開発プログラム(UNDP)と、ハンガリー科学アカ デミー(MTA)が一昨年に纏めた報告書によれば、 国内では、一〇人に一人が貧困ラインを下回る生活を している。

 最も底辺の生活をしているのはロマ系と老人である。 また、同報告書に寄れば、九十五~九十六年と、二〇 〇一~〇二年の統計と比較すると、貧困層の割合自体 はあまり変化がないが、最低所得者層と最高所得者層 のそれぞれ一〇パーセントの平均収入の差は七倍から 約八倍に拡大しており、今後この傾向が続くことが懸 念されている。

 社会学者らが組織する団体が一昨年末に国に提出し た別の報告書によれば、二十~三十万人は、失業手当、 生活保護などの手当てだけに頼っており、約二百十万 人は、必要最低限の支払いを済ませた後手元に残るの は、月一万三千フォリントである。そのうち、約四十 万世帯(約百十万人)では、僅かに月三千四百フォ リントしか残らない。日本円にして二千円以下である。 つまり、ハンガリーでは九十年代後半以降の経済成長 を経ても、日本的な厚みのある中間層は十分に育たず、 生活の厳しい層が底辺にべったり大きく横たわり、 最上部が富の多くを握る、という歪な富の分配の形に なっている。

 失業率の地域格差も大きい。中央統計局によれば、 失業率の全国平均は現在七パーセント前後で、EU平 均以下ではあるが、ブダペスト市内が二・七九パーセ ントであるのに対し、東部や北部の県の失業率平均は 二〇パーセントに近く、四〇パーセントの失業率を抱 える村もあるほどである。共産主義時代は労働をしな いことは「犯罪」扱いだったので、少なくとも表面的に は「完全雇用」で誰しもが職を持っていた。しかし、国 営企業の民営化や外資の誘致が盛んに行われた結果、企 業にとって必要のない人間は、当然のことながら切られ たのである。Eさんが、物価の高い都会できつい生活 をしていても、「田舎には戻らない」ときっぱりと言 うのも、北東部の地元には仕事がまずないからである。

 経済格差が生み出す犯罪や社会的な摩擦は悪循環に なりがちなのに、代々の政府には、真正面から真剣に 取り組もうという気迫が感じられない。ハンガリー、 いったいどうなってしまうのだろう。贅沢な焼肉と、 不可思議な味のソースを前にしながら思った。


パプリカ通信2005年10月号掲載