ご存知、世界記録を集めたギネスブック。ハンガリー で達成されたものも多くあるでしょうが、実は「世界 で一番桁の大きいお札が印刷された」として記録され ているのもこの国。その桁数、なんと二十二桁! 1,000,000,000,000,000,000,000 ペングー(peng ?)。戦後すぐの一九四六年のこと、 想像を絶する「ハイパーインフレ」に襲われたため紙 幣に刷り込む額をどんどん大きくしなければなりま せんでした。
当然のことながら経済は大混乱。価格の安定を求 めてその年の八月に置き換えられたのが現在の「フォ リント」です。今月はハンガリーの通貨について見て 行きましょう。
「フォリント(forint)」がペングーに替わってハ ンガリーの通貨となったのは、前述したとおり一九 四六年のことですが、その名は元々フローレンスで 一二五二年から造られていた金貨 “fiorino d'oro”から来ています。ハンガリーでは一三二五年 より、当時の国王カーロイ・ローベルトが “florentinus”の名で金貨を導入します。この ナポリ生まれの王様、現在は二百フォリント紙幣の顔 で、広範な政治・経済財政改革を遂行したことで知ら れています。
その後オーストリア・ハンガリー二重帝国時代に は、当初「フローリン(ドイツ語ではグルデン)」が使わ れていましたが、一八九二年よりコロナ(クローネ)へ。 第一次世界大戦を通して二重帝国が崩壊した後、帝国 時代に使用されていたコロナは無効となりますが、ハ ンガリーは一九一九年に「ハンガリー・コロナ」を採用 しています。
国は第一次世界大戦中から、多額の借金をすること で戦費を捻出していたために、実質的な貨幣価値は下 がりインフレが起こっていました。戦後短い間価格は 安定しましたが、すぐに復興のための費用などが再 び国の借金によってまかなわれたため、コロナの価 値が急激に下がっていきました。近隣諸国が戦後の 経済ブームの恩恵を得る中、ハンガリーはなかなか 立ち直れなかったこともあり、物価は上昇し続け、一 九一四年当時の生計費指数を一とした場合、一九二四 年には二万倍以上にもなっているほどでした。 そこ で一九二七年に、新たな通貨「ペングー」が導入されま した。当時、三八〇〇ペングーで金一キロに相当しまし た。
しかし、このペングーが導入された後の一九三〇年 代も国は借金をし続けたため、国家財政は破綻し通 貨価値は暴落しました。そのためインフレの悪夢の状 態に終止符を打てなかったどころか、冒頭で触れたよ うに第二次世界大戦後にはついに空前絶後のハイ パーインフレを招いてしまうことになります。
それがどれ程ひどい状態だったかと言うと、例えば一 九四五年六月末の為替レートでは、一ドル=六四〇ペ ングーだったのが、一年後にはなんと一八一七兆ペングー になっていました。四十六年七月の前年比インフレ率 は、四十一・九京(41,900,000,000,000,000) パーセント。ハイパーインフレといえば、一九八九年の アルゼンチンが記憶に新しいところですが、それでも 年率数千パーセントです。それを考えれば、当時のハ ンガリーが混乱を極めた状態で、紙幣が「朝目覚めた ら紙屑同然になっていた」というより、「息を吸って吐 く間」に価値を失ったと言ってよいでしょう。仮に、カ フェでコーヒーを注文したとしたら、注文したときと 支払うときでは額が一桁違う、、といった感じでしょ うか。
そのため四五年から四六年にかけて、当然のこと ながらどんどん桁の大きい新紙幣が発行されること になりました。「0」があまりに増えて、紙幣のスペー スに収まらなくなったため、百万の単位は “milpeng ? ”と表されるようになりますが、それで も間に合わなくなり今度は「兆」を“B.-peng ? ”と して表すようになります。最終的に四六年に紙幣に印刷 された最高額は、”EGY MILLIARD B.-PENG ? ” ーつまり「十億兆」(十の二十一乗、十垓)にまで達し ました。ただし、この紙幣は印刷されただけで、実際 に発行はされませんでした。発行された紙幣の中で 最高の額面は、一桁落ちて「一億兆」。しかし、ゼロが一 つ多くても少なくても、想像できないことには変わり ありません。
この史上最悪と言われるハイパーインフレを収束 するには、新通貨への切り替えしか選択肢は残されて いませんでした。そこで再登場したのがフォリント。 その時発表された交換レートは一フォリント=四〇兆 京ペングー(十の二十九乗、京は一兆の一万倍)という、 これまたとてつもない額でした。それによって、対ド ルレートは十一・七四フォリントになりました。
フォリントは現在、紙幣には二万、一万、五千、二千、 千、五百、二百とあり、硬貨には百、五十、二十、十、五、 二、一とあります。現在流通している紙幣は、九十七年 から二〇〇一年にかけて新たに発行されたもので、表 には過去の王様や政治家など肖像、裏には彼らのゆか りの地や城などが描かれています。ミレニアムを記念 して発行された二〇〇〇フォリント札だけは、ハンガ リーの王冠が描かれています。また、現在の紙幣の特 徴は、偽造防止のためいろいろ工夫が凝らしてありま す。ちなみに、こうした「お札の顔」となった人たちは、 共産主義時代に否定されていたわけではありません が、以前紙幣に採用されていた人物は「支配勢力、裕福 層に立ち向かった英雄達」がほとんどでした。
一方、硬貨は一九九二年に一新されましたが、百フォ リント硬貨だけは例外で、九十六年に現在の中央が金 色、外側が銀色という二色に変更されました。これは それまでの百フォリント硬貨が重く、二十フォリント 硬貨と間違えやすい、などと市民に不評だったためで す。現在の硬貨になってからは、確かに他の硬貨とは 間違えにくくなりました。重さは九・四グラムから八 グラムへと若干減少しました。
この百フォリント硬貨、導入されたときは当時の 首相ホルン氏のようだ、と揶揄もされました。それ は「二色」というのが、ハンガリー語では「二枚舌を使 う」とか、「言うこととやることが違う」いったような 意味だからだそうです。
もう一つ、ハンガリー硬貨にまつわる話で、五十フォ リント硬貨、そして旧二十フォリント硬貨が、日本の 自動販売機でニセ五百円硬貨として大量に投入され たという事件が何件か報道されています。五百円硬貨 の偽造では、韓国のウォン硬貨が一番多いのですが、実 はハンガリーの硬貨も一時期多かったようです。
消費者物価上昇率 (年平均、前年比 %) 出所:中央統計局 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 28.9 35.0 23.0 22.5 18.8 28.2 23.6 18.7 14.3 10.0 9.8 9.2 5.3 4.7 6.8 3.6
なお、ハンガリーの貨幣には「円と銭」の関係のよう に、一九九九年まで「フィッレール(filler フォリン トの百分の一)がありましたが、現在は流通していま せん。現在は、日本語の「一銭たりとも払わない」と同 じように、「一フィッレールたりとも?」と会話でのみ 登場します。
フォリント ↓ コロナ ↓ ペングー ↓ フォ リントと変遷してきたハンガリーの通貨。現在政府は 欧州単一通貨「ユーロ」の導入に向けて、財政赤字の縮 小に努力しています。ユーロ導入については各国で受 け止め方が微妙に違いますが、ハンガリーでは自国通 貨に執着する気持ちよりは、新たな通貨に対する期 待の方が大きいようです。
欧州委員会と世論調査会社ギャラップがEU加盟 国の市民に対して実施する「ユーロバロメーター」の 調査の最新の報告書(二〇〇六年三・四月調査、六月 発表)によれば、「ユーロに通貨が替わることについ て、嬉しいですか」という問いに対して、「とても嬉し い」と「嬉しい」と答えたハンガリー人の割合の合計は 五六パーセントで半数を超えました。これは、来年一 月にユーロ導入が決定しているスロベニアの六四パー セントに次いで高い数値です。
ユーロの導入時期については、「可能な限り早く」と 答えたハンガリー人が三六パーセント、「一定期間後」 が三三パーセント、「可能な限り遅く」が二七パーセン ト。これだけ見るとそれほど焦っていないようにも映 るのですが、新規加盟国のうち、「可能な限り早く」を 選択した割合が三〇パーセントを超えたのは他にス ロベニアだけです。
また、「単一通貨の導入は、国のアイデンティティー の多大な喪失につながると思いますか」という問いに 対しては、七〇・七パーセントのハンガリー人回答者 が「つながらないと思う」として、「つながると思う」と した一九・一パーセントを大きく上回っています。肯定 的に回答した率は、新規加盟した一〇カ国の中で一番 高く、二位のポーランド(六二・六パーセント)、三位の スロベニア(六二・三パーセント)と較べてもかなり高 い割合となっています。逆にラトビアは六五パーセン ト以上の人が、「アイデンティーの喪失につながる」と しています。
ただ一方で興味深いのは、「自国通貨の替わりに ユーロを使用することで、『欧州人』としての自覚が増 すと思いますか」という問いに対して、「そう思う」と 答えた割合は、ハンガリー人が新規加盟国中最低で三 六パーセントでした。トップはチェコで六九パーセン ト、ハンガリーの倍近くでした。
ユーロ導入の良い点として、ハンガリー人は旅行や 輸入の際の利便性を挙げていますが、その他でも「価 格が安定する」、「金利が低下する」、「財政運営が健全 化する」、「経済成長や雇用の拡大を促す」といった点 を挙げる割合が他国と較べて高くなっています。本来 ユーロ圏への参加自体がバラ色の将来を約束してく れるわけでもないですし、むしろ参加するまでに自助 努力で価格の安定などの状況を整えておかなければ ならないはずです。しかし、これまで戦争や共産主 義、体制転換を通して様々な経済局面を経験してき た国民にとっては、ユーロ圏に組み込まれるというこ とはやっと経済的に一人前になれた印でもあり、同時 に最大の安心をもたらしてくれるものなのかもしれ ません。
国民の期待とは裏腹に、先月号でも紹介したように 財政赤字の縮小が進まず、公式なユーロ導入目標年次 二〇一〇年は先送り、実質的に数年遅れていると考え られています。もっとも準備が遅れているからこそ、 期待が高いのかもしれません。ハンガリー通貨がユー ロに替わる日はいつになることでしょう。
*参考資料 ハンガリー中央統計局 ハンガリー国立銀行HP(www.mbn.hu) 欧州委員会
ハンガリーに何年か住んでいる方ならば、「ん? また値上がりしたな」と思うことが多いはずでし ょう。日本円に換算すればそう物価は高くありま せんが、現地の人々の給与水準を考えてみると、「高 い!」という方が多いです。私自身は、この夏アイス クリームの一玉が「去年は八〇フォリントくらいだ ったのに、今年は百以上??」と愕然としました。高 い店では一五〇フォリント、というのもあり、以前 のように三つもコーンに山盛りにしてもらうのも 再考せざるを得ない状況です。このコラムでは過 去十五年くらいの物価上昇の様子を見てみましょ う。
中央統計局によれば、一九九〇年当時から、二〇 〇五年までに物価は平均して十一倍上昇していま す。日本のようなデフレまで経験している国から 来た人間にとっては、かなりの上昇率です。
中でも、国からの補助が削除されてきた家庭の 光熱費は二十四倍に。二〇倍、と言えば、毎夏恒例の オーブダ島で開催されるSziget Fesztival の一日券も、開始年の九三年には僅か三百フォリン トだったのに、今年は六千フォリントに跳ね上がっ ていました。
〇五年までの十五年間のうち、食品の価格は平 均十倍になり、中でもパンは十四倍。サービスの料 金は平均十三倍、公共交通機関の乗車賃は十二倍 になっています。ただ、中央統計局によれば、二〇〇 〇年と〇五年の価格を比較すると、中には家電製 品など安くなっているものもあります。これはディ スカウント店の進出などで競争が激しくなってい るためと考えられます。
もっとも、この間所得も上昇しているのは確かで す。一九九〇年のフルタイム労働者の平均月収は税 引き前で一万三四四六フォリント、税引き後で一万 一〇八フォリント。一方二〇〇六年一月には、税引き 前平均月収は十九万五五〇〇フォリント、税引き後 は十二万四九一八フォリント。賃金も約十二倍には なっているということです。ただし、これはあくま でも「平均」でしかないので、法定最低賃金が倍以 上になったことを受けて収入が連動して上昇した 人もいる一方で、賃金がほとんど上がっていない、 という人もいると思います。
ハンガリー国立銀行(中央銀行)は、中期的なイ ンフレ目標を年率三パーセントとしており、本来 ならばそれが達成されるのも間近と予想されてい たのですが、原油高、財政均衡計画実施による増税 などが影響して、来年は七パーセント前後になり そうです。(中銀による今年の予測は三・八パーセ ント。)〇八年は再び落ち着いて年平均四・二パー セント、年末時点では前年比三パーセント近くに なることが予測されています。そのため、来年のア イスクリームは、一玉百フォリントという店の方が 少なくなってしまうだろう、、と危惧しているこの 頃です。
Eurobarometer - Introduction of the euro in the New Member States analytical report June 2006 “Statistics of Centuries”
パプリカ通信2006年10月号掲載