13.ハンガリー労働者の賃金とその格差

鷲尾亜子

 「ハンガリー人の月収って、どれくらいですか。」 これは当地を訪れる日本人によく聞かれる質問です が、毎度のことながら返答に困ります。というのも、国 の統計局が発表している平均月収を出してみても、実 態をきちんと反映していないような気がするからで す。今月は「稼ぐ」ではなく「探す(keres)」という 言葉を使うハンガリー人の労働賃金を見てみましょ う。


所得のばらつき

 中央統計局(KSH)の調査「今年の一〜八月間の労 働人口と収入動向」によれば、フルタイムで雇用され ている人一人当たりの平均月収は、税引き前で約十六 万七千フォリント(十万円弱)、手取りで約十一万フォ リント(約六万四千円)。*表1参照。ただし、これは あくまで、この国の労働人口約二百八十万の平均の値 です。ショッピングモールなどで、高い食材や洋服をご っそり買っている人を見るにつけ、「一体どれくらい収 入があるのだろう」と思う一方、「毎月の家計簿の帳尻 を合わせるので精一杯。贅沢なんて何もできない」と いう人が周りには沢山います。

 実は、まさにこれが冒頭の「実態をきちんと反映し ていない感じ」であり、それは業種や学歴、また同じ産 業内でも職種によって所得にかなりの差が生じてい るからなのです。

 最高所得産業は金融サービスで、手取りで約二十 二万二千フォリント。一方、最低所得業種は、衣服縫製 など繊維関連、及び皮革製品の製造で、約七万二千 フォリントです。その差は手取りで三倍、税引き前で は四倍近くになります。

 手取りでの所得が二十万フォリントを超えている のは、金融サービスしかなく、その次に続くのは化学 品製造業(約十三万七千フォリント)、そして数百フォ リントの差で追うのは多少意外かもしれませんが、行 政、防衛、社会保障部門の公務員です。(教員、医師、看 護士などは含まれていない)  繊維・皮革製造業に次 いで所得が低いのはホテル・レストランなど飲食業 (手取りで約七万六千フォリント)、農・林・水産業(約 八万フォリント)です。

 産業別格差の他に、職種による格差も顕著です。 KSHの調査では管理職、技術職、専門職という分類 の仕方をせず「肉体的労働」、「非肉体的労働」の二つに 分けていますが、前者の平均は約八万一千フォリント で、非肉体的労働約十四万四千フォリントの六割にも 満たない額です。

 KSHによる同調査では、労働者の最終学歴別で は所得を集計していませんが、欧州連合(EU)の統 計局ユーロスタットが実施した二〇〇二年時の調査( 発表は〇五年)ではその格差が歴然としています。そ れによれば、ハンガリーの大卒相当の労働者の給与( 二〇〇二年、年収、税引き前)は一万三七七〇ユーロで 、中等教育で終了した労働者(三九四〇ユーロ)の三・ 五倍近くになっています。なお、男女差によるハンガ リーの所得格差は一・二倍ほどで、産業や職種、学歴ほ どの格差は現れていません。


格差の大きい国

 このハンガリーの格差は、実はEU二十五加盟国の 中で五指に入ります。**表2参照。前出のユーロス タットの調査によれば、ハンガリーの産業による格差 ではニ・七倍で、五番目に大きい国となっています。教 育による格差は約三・五倍で、なんと加盟国の中で最 大格差を示しています。(同調査は、二〇〇二年時点 のものであり、またユーロ換算のためユーロを導入し ていない国については為替で額がかなり変動してし まう弱点がありますが、各国の傾向を概観し、加盟国 間の大まかな比較をするには有効と考えられます。)

 一番格差の小さい国は、産業別、学歴別ともにフィン ランドで、両方とも約一・三倍でした。一般的な傾向 として、産業別、学歴別ともに格差が大きく出ている のは元社会主義国である新規加盟国です。かつて少な くとも理論上は、労働者の搾取をやめ、平等な社会を 目指したこうした国々が、体制転換とともに短期間 に格差が旧EU十五カ国よりも広がったというのは 皮肉なことと言えましょう。逆に市民の側からしてみ ると、体制転換前は国民の大部分がどんぐりの背比べ 的な給与しか受け取っておらず、裕福とは決して言え なかったけれど一定の生活は保障されていた状況か ら、急激に貧富の差が生まれ、各種補助金の削減など のため下手をすると最低限の生活すら送れないとい う状況に変化したということでもあるでしょう。その ため、不安や妬みが市民の間で大きくなっているのも 事実です。

 一方、こうした旧共産主義諸国は、男女別の所得格 差という点では、旧EU十五カ国と比較して低い傾向 にあり、共産主義の政策が残した数少ないポジティブ な遺産の一つかもしれません。

 ユーロスタットの二〇〇二年の同調査によれば、ハ ンガリー労働者の平均年収はグロスで五九〇〇ユー ロ。EU二十五カ国平均二万八千ユーロの二割程度で しかありません。最も所得が高かったのはデンマーク で四万一七〇〇ユーロ、最も低かったのはラトビアの三 六〇〇ユーロ。その差は十一倍にもなります。ただし、 購買力標準(PPS)での最大と最小の国の差は五倍 に縮小されます。(それでも五倍はあるわけですが。)


隠れ所得

 「統計上の所得が現実を適切に反映していない」と 感じるもう一つの理由は、申告漏れ、脱税が大きいか らです。例えば、掃除のお手伝いさん、ベビーシッター、 また医師に対する「謝礼」などはほぼ例外なく申告さ れていない所得です。

 加えて、ハンガリーではある程度の収入があるので あれば、毎月会計士などの費用はかかりますが、会社 を持った方が税負担が軽くなります。(また個人に比 べ節税のオプションが豊富にある。)そのため、驚くほ どの数の個人がBtと呼ばれる有限責任パートナー シップ(合資会社)やKft(有限責任会社)を持ってい て、報酬は会社を通して受け取っています。もっともこ うした節税対策は自営業に従事する人であれば、ど この国でもしますが、ハンガリーの場合は真の自営業 者というより、事実上はある企業にフルタイムで雇用 されているにもかかわらず、自分との雇用契約は結ば ず、あくまでも自分の会社が「コントラクター」として サービスを提供している形を選択し、会社同士の契約 としている場合が多いのです。その場合、個人所得税 や個人負担、会社負担の社会保障費の支払いを極力 抑えるため個人の所得は実際より低く申告され、そ の一方でいろいろな支出が「会社の経費」として落と されるわけです。もちろんこうした「偽自営業者」の 存在を政府が野放しにしておくわけもなく、最近はい ろいろな対策が練られていますが、それに対して抜け 道を考えるなど、いたちごっこになっている部分も否 定はできないでしょう。


表1 ハンガリーの平均所得(単位:フォリント) 全フルタイム雇用者平均 肉体的労働平均 非肉体的労働平均 金融サービス業 繊維・皮革製造業 税引き前(グロス) 167,229 108,630 234,434 386,262 97,720 税引き後(手取り) 110,206 81,051 143,643 222,465 72,245 出所:中央統計局 Létszám és kereset a nemzetgazdaságban (2006年1-8月の労働人口・賃金動向)
表2 EU内の賃金格差の大きい国トップ5(2002年) 1 2 3 4 5 EU平均 職種による格差 ラトビア(3.9倍) エストニア(3.7倍) リトアニア(3.1倍) スロバキア(3.0倍) ハンガリー(2.7倍) 2.3倍 学歴による格差(除:公務員) ハンガリー(3.49倍) スロベニア(2.89倍) ポルトガル(2.88倍) スロバキア(2.77倍) チェコ(2.6倍) 2.0倍 出所:Eurostat “Earnings in Industry and Services in 2002” (2005年5月30日発表)を元に計算。すべて税引き前(グロス)の 額を元にしている。

パプリカ通信2006年12月号掲載