十一月十七日、国民的英雄だったサッカー選手、プシュカーシュ・フェレンツ (Puskás Ferenc)が肺炎のためブダペストで死去した。享年七十九歳。晩年は、アルツハイマー病のため寝たきりの状態に陥っていた。政府は葬儀の日・十二月九日を国民的追悼の日と宣言した。
葬儀当日には国会議事堂前で式典が行われ半旗が掲げら れた。国際サッカー連盟現会長、欧州サッカー連盟代表と してフランスのミシェル・プラティニ、またドイツのフラ ンツ・ベッケンバウアーなど往年のスタープレーヤーも参 列した。聖イシュトヴァーン大聖堂では、ショーヨム・ ラースロー大統領が追悼演説を行い、彼の棺は大聖堂付属 の教会に安置された。
プシュカーシュは、一九五〇年代前半から一九五四年 ワールドカップ決勝で敗れるまで四年間無敗を続け、「マ ジック・マジャール」と呼ばれたハンガリー代表の主将・ フォワードとして活躍。テクニカルかつパワフルな左足 で、「走る少佐」と呼ばれた。代表通算八十三得点は二十 一世紀になるまで長い間世界記録だった。
一九五六年、ハンガリー革命が発生した際、たまたま遠 征中だったプシュカーシュは帰国せずスペインに亡命。ハ ンガリー政府がサッカー協会にかけた圧力により二年間の 公式戦出場停止処分を受けるも、処分明けの五八年スペイ ンの名門レアル・マドリードに加入、ここでも黄金時代を 築いた。スペインの国籍も取得、スペイン代表としても ワールドカップに出場している。
プシュカーシュは冷戦終結後にハンガリーを訪れたが、 国を捨てた者として石つぶてを覚悟していた彼を待ってい たものは、英雄の帰還を祝う熱狂的な歓迎だったという。 二〇〇一年には国立スタジアムが「プシュカーシュ・フェ レンツ・スタジアム」と改称された。
十二月五日、トゥルクバーリントの倉庫で百トンを越え る賞味期限切れの食料品がペシュト県保健所と食品監査局 の取調べで見つかった。建物の中には印刷施設もあり、 シールの張替えや再包装などの手段で賞味期限の改ざんが 行われていた模様。ひどいものでは賞味期限を数年間延長 されたケースもあり、また食べると食中毒を起こす恐れが あるものも含まれていた。
十二月七日にも、トゥルクバーリントで新たに再包装施 設が見つかり、百万個の卵、乳製品、チョコレート、加工 肉などが押収された。十二月九日にはウッルー、ヴェチェー シュ、およびジャール(Üllő, Vecsés, Gyál) の各倉庫でも数トンの賞味期限改ざん食品が見つかった。
ハンガリーでは毎年この時期になると、公共料金の値上 がりが話題になる。
今年はtávfűtés(建物や集合住宅での暖房)が国内平 均五十パーセント上がる。またバスや鉄道のチケットも一 月および五月の二段階に分けて値上げが行われる。
ハンガリーの高速道路には料金所はなく、利用者はガソリ ンスタンドもしくは携帯電話から代金を払っていたが、十二 月四日からインターネット(www.autopalyamatrica.hu)でも 支払いができるようになった。現在は普通車の 四日券のみ利用できる。なおインターネットからは手数料 の百フォリントが余分にかかる。
ブダペストでは、学校の冬休みであるクリスマス前から 新年にかけて、国会議事堂前に無料のスケート場が毎年設 置されていたのだが、秋にデモが行われた影響で警察から ストップがかかったため、政府は代わりの場所としてMT Aハンガリー科学アカデミー前の駐車場にスケート場を設 置することを発表した。
パプリカ通信2007年1月号掲載