トコロかわれば...
ハンガリー語は「世界一難しい言語の一つ」と言われることが多いが、果たしてそうだろうか。
全くの主観だが、私はあえて“No”と言いたい。第二言語として習得しようとするとき、言語には絶対的に難しい言語も、絶対的に易しい言語もないからである。つまり、習得が不可能な言語もないし、逆に努力せず覚えられる言語もない。
と、えらそうに書くと、まるで私はハンガリー語がペラペラなのでは、と思われてしまうかももしれないが実はそうではない。富士登山に例えれば、出発地点の五合目ではないが、七合目あたりからなかなか前進していない。今回はなるべく客観的に、ハンガリー語というものに迫ってみようと思う。
「ハンガリー語は難しい」と人は簡単には言うし、 当のハンガリー人も大方、「難しいだろう」と半ば誇 らしげに言うけれど、難しさにも①文法規則(語形変 化や語順)、②表記、③発音といった要素があるだろ う。この三つの要素とは別に、難しさを決定する要因 として学習者の母国語や、外国語の知識などが加わる だろうが、こちらはあくまでも学習者の立ち位置のよ うなもので、言語そのものが持っている難解さとは関 係ない。
神様は公平なもので、世の中には文法も、表記も、 発音もめちゃくちゃ難しいという言語はないらしい。 文法がものすごく細かいのであれば発音は比較的単純 であるとか、逆に発音や表記は難しいが文法がほとん どないといった組み合わせらしい。そのため、どの言 語の習得が一番難しいと比較しランク付けるのはナン センスである。
ハンガリー語が難しいとされるのは、語形変化の多 さで、表記や発音は難しい部類には入らないだろう。 表記の仕方に関して言えば、アルファベットは英語よ り多いが、スペルと音が僅かな例外を除いて一致して いるので覚えてしまえば簡単である。この点、英語の 方がよほど難しいと思うし、さらに言えば馴染みのな いアラビア文字や漢字はものすごく難しく、字を目で 見て学ぶ知覚的な学習スタイルの人にとっては大きな 難関になると思う。
ハンガリー語の発音をとってみると、母音の数は日 本語より多いので少し苦労するが、何より日本語と同 じように「子音+母音」とセットになっていることが 多いので、子音ばかり多いスラブ系のような言語に比 べたら格段に楽である。またアクセントが第一母音に 必ず来るという黄金ルールを忘れなければ、完璧に話 すのは難しいにしても、日本人のハンガリー語はアメ リカ人のそれに較べればかなりきれいである。
さて難しいといわれる語形変化。動詞が一、二、三 人称、複数/単数で変化する。中学一年生の英語の授 業で、三人称単数「彼」「彼女」になると goではな くて goesになると初めて習ったときは衝撃を受け たものである。今まで意識していなかった「三人称単 数」というものを意識して動詞を変化させ、次第に無 意識に自動的にできるようになるまで相当時間かかっ たのを覚えているが、ハンガリー語はそんなに甘っ ちょろいものではない。
この言語は、主語によって動詞が変化するのみなら ず、目的語が特定されているものかどうかでも変化の 仕方が変わる(不定活用・定活用)。つまり「あのコッ プが欲しい」か、「一つのコップが欲しい」かで、で ある。加えて、その活用の仕方も母音調和によって微 妙に違う。つまり人称による変化が六通りあり、目的 語の特定・不特定で二倍になって十二通りとなる。そ れに過去形、命令形、仮定法があるので合計四十八通 り。加えて受動態、人称不定形(「~しなければなら ない( kell)」というときに動詞の原型を使うこ ともできるが、一般には変化した形が使われることが 多い)があるし、「できる、してもよい」という意味 の hat,hetをつけるものもある。その他細かい のがいろいろあり、一体動詞一つで幾通りの変化が可 能なのか、計算する気にもなれないほどである。
また英語の willや canのような助動詞は頑固 なくらいに変化しないが、ハンガリー語では人称によっ ていちいち変化する。そしてもちろん、それに加えて 前述したように目的語の特定、不特定でその変化の仕 方は二倍になる。
とは言っても、人称による動詞の変化はインド・ ヨーロッパ言語ではよく見られるし、むしろ英語の方 があまりにも単純化されてしまって例外的ということ を忘れるべきではないだろう。ハンガリー語で頭が痛 いのは「格変化」の多さである。インド・ヨーロッパ 語で格変化を持つ言語もあるが、ハンガリー語の場合 はなんと十四個もある。例えば「家を」「家に」「家 へ」「家で」で「家」という名詞が変化する。考え方 は日本の「てにをは」と同じで名詞の後ろに着く「接 尾辞」タイプだが、ハンガリー語は母音調和があるた めにいつも例えば「へ」を使えるのではなく、目的地 が東京、ヘルシンキ、ブダペスト、センテンドレと違 えばそれぞれba,be,ra,reとついて違うの である。
当然の事、「あれ」「これ」という代名詞も変化す る。ハンガリーに来る前に少し独学して夫を驚かして やろうと思い、日本語で書かれた教本を読んだりもし たが、「与格」、「出格」は文字通りだからよいもの の、「具格」、「変格」、「奪格」などは日本語の意 味からしてわからず、野望は直ぐにしぼんだのであ る。このように、ハンガリー語は、「え、これもまた 変化するの~!」の連続である。学習し始めた頃は、 天文学的な数字で変形がありうるような気がして怒り さえ覚えたほどである。
しかし、文法は一通り学習してしまい登山も六合目 あたりに来て振り返ると、「世界一難しい言語」と恐 れることもなかったのかな、と思う。確かに覚えなけ れば規則は多いが、ルールがかなり一貫していて応用 が利くので、パズルをはめているようである。むしろ 理屈ではなくただ覚えるしかない不規則な語尾変化と いうのは、それほど多くはない。途中から「ハンガ リー人って、こんなところまで細かく変化させるん だ」と感動にも似たような気持ちを持てるようになれ ばしめたものである。そして、その割には「彼」と 「彼女」の区別がないとはどういうことなのか、と ちょっと抜けたところを笑えるようになればこちらの ものである。
結局、「難しい」と言われるハンガリー語でも、基 礎ルールの習得は可能である。もちろん学習する上で 先生の良し悪しは大きいし、時間の問題や、学習者に よる習得の速さの差はあるかもしれないが、一番大き いのはやる気があるかどうか、そして努力できるかど うかである。それは何もハンガリー語だけではなく、 他の言語の習得にも当てはまるだろう。
しかし真の言語学習の難しさというのは、一通り文 法規則を学習し終わった後に始まるものだと思う。以 前、山登りが趣味の友人にオーストリアの山に連れて 行ってもらったとき、「木が途絶えて頂上が見えたと 思っても、実際は思っているより頂上は遠いもの」と 言われたが、語学もまさにそうである。知らない単語 や言い回しはそれこそ無数にあるように思える。逆 に、文化的・歴史的背景知識が乏しいために、単語は 全部わかっても意味がよくわからないということがあ る。言語を学ぶことはその国の人たちの考え方を学ぶ 大きな助けになるが、言葉さえ覚えれば自動的に考え 方が理解できるというわけでもない。まだまだ道は長 い。
パプリカ通信2007年1月号掲載