ハンガリーい、ろ、は

20.ガス料金、なぜこんなに高くなった?

鷲尾亜子

 十一月十一日「聖マーティンの日」、ハンガリーは全国的に初雪となった。この日に聖マーティンが白くなった馬の背にまたがって来ると(つまり雪が降ると)、穏やかな冬に、そして茶色の背の馬にまたがって来ると(つまり雪が降らないと)、厳冬になると言い伝えられる。しかし本稿を書いている今、雪は一向に止む気配がない。言い伝えとは違って、まるでこれから長くて寒い冬が来ると告げているかのようである。 ガス料金が、眼の玉が飛び出るほど上がっている。そのため、冬がどうなるかをこれほどまでに心配する年は、今までなかっただろう。今号では、なぜこんなにガス料金が高騰したのか、そしてハンガリーのガス市場を取り巻く問題をみてみよう  

四年で二・五倍

まずは昨年以来、どれほど家庭用ガス料金が値上がりしたのか、表1をご覧いただきたい。(本稿では業務用ではなく、住宅用に焦点をあてることとする。)二〇〇三年と比較して、単位料金(立方メートル当たり)に実際に消費者が支払う金額は、実に約四〇フォリントから一〇〇フォリント以上の二・五倍となった。

特に昨夏以来の高騰ぶりは、凄まじい。ハンガリーのガス料金は国により統制されていて、基本料金と使用量によって計算される「従量料金」があるが、まずは基本料金から見ると、昨年八月には三割上昇して約五二〇〇フォリントになった(付加価値税=VAT込)。そして単位料金(立方メートル)も平均三〇パーセント上昇して約八十五フォリントとなった。最終的に消費者が実際に支払う金額は、昨夏はまだ補助金が充当されていたため単位当たり平均六十五フォリント弱にとどまったが、それでも平均三〇パーセント上昇している。(上昇は年間使用量などにより、十八・五〜三十九・四パーセントの幅がある)

そして、今年一月からは平均で五十七パーセント上昇している。(同様に上昇幅は三〇〜六〇パーセント。)つまり、昨年後半の半年以内に二段階に分けて平均三〇パーセント、そしてさらに六〇パーセント弱上昇したのである。

非常に幸運だったのは、昨冬が記録的な暖冬だったことである。そのため、どの家庭でも使用量は例年よりかなり少なかったはずである。ガス会社の職員は毎月メーターを測りに来るわけではないので、毎月の請求書が使用量をかならずしも反映しているわけではないが、それでもほとんどの家庭で、月額数千フォリントはあがったのではなかろうか。

そしてこれから来る冬。ガス料金自体は今年一月から改定されていないが、使用量が例年並みに戻れば、価格の高騰による打撃をもろにかぶることになる。

対象の縮小

価格が引き上げられたのは、原価自体の上昇に加え、これまでの国の補助金制度が廃止された結果である。現在も補助金制度はあるが、旧制度が基本的にすべての世帯に支給されていたのに対し、新制度は低所得者層や大家族、一部の年金生活者、障害を持つ者が家族にいるなど、社会的にハンディのある世帯のみを対象にしている点に違いがある。

旧制度では、表2に示すように、年間消費量によって三つに区分され、それぞれにつき利用者の所得に関係なく、一立方メートル当たりの補助金が設定されていた。そしてその分は自動的に請求書から差し引かれていた。つまり、例えば二〇〇六年一月の時点では、消費者は本来の料金の七割弱しか支払わっていなかった計算になる。

一方、二〇〇七年一月から導入された新制度では、所得が月額約九万三九〇〇フォリント以下の世帯のみが補助金受給の申請ができるようになった。(これより所得が高い場合でも、地方自治体に申請すれば補助金が支給される場合があり、そうした自治体による支援の今年度の予算枠は、合計六十億フォリントになっている。)

新制度では、所得によって四つに区分され、られ、最も低い所得の世帯は一立方メートルあたり約四〇フォリント、割合にすると四割以上が補助金でまかなわれることになる(表3参照)。これが、政府が「最も援助を必要としている社会グループには旧制度下よりも手厚い保護があてがわれている」と国民にアピールする所以である。

新制度における補助金受給の対象になるのは合計約一一〇万の世帯。全世帯の四分の一強である。新制度を導入したことにより財政赤字の縮小につながると政府は説明しているが、同時に補助金申請の処理審査といった行政事務の拡大によるコストも生じたことは確かである。

制度の変更

全世帯を対象とした旧制度は、二○○三年一〇月に施工された。その年は、天然ガスの輸入価格や他のコストが大幅に値上がりしており、国はガス業者の要望に沿って、料金の四割増しを認めざるを得なかった。そして、その打撃を市民に与えないために、政府は産業用ガス料金を値上げしつつも、住宅用は一五パーセント増に抑えるよう補助金を支給して、「割引価格」を提供したのである。

もっとも、その前から補助金制度のようなものがなかったと言えばそうではなく、用いられた手段は違うにしても、社会主義の時代から消費者の支払うガス料金は、人為的に低く抑えられていた。FIDESZハンガリー市民連盟が政権与党だった時代(一九九八−二〇〇二年)には、石油・ガス最大手会社のMOLは、為替動向を含めた輸入コストを適切にエンドユーザー価格に反映させることを求めていたが、政府側は物価上昇率分しか認めなかった。そのため同社のガス部門は大赤字となり、当時価格を統制していた経済省大臣と国を相手取って、同社が訴訟まで起こしたことがあるほどである。

二〇〇六年末まで続いた旧制度は、有無を言わさず財政に負担をかけるもので、政府の赤字が雪だるまのように膨れ上がっていたために、かねてから問題視されていた。そのため、全世帯への自動的な料金補填からターゲットグループを絞ったものへの転換し、世界価格の水準に近づけることはかねてからの課題であった。

なお、ハンガリーの住宅用天然ガス料金は、実は欧州の中でも最安のグループに属す。二〇〇七年一月の時点でも、ハンガリーの家庭用ガス料金の水準は欧州連合諸国の中でエストニア、リトアニアに次いで三番目に低く、二十七のEU加盟国平均価格の半分程度である。(一方で、ハンガリーが輸入する天然ガスの代金が他国に比べて安いということはない)

しかし、二〇〇六年夏まで制度の大幅見直し、新制度の決定ができなかったのは、四年に一度実施される議会選挙のためである。ガス料金は市民にとってわかりやすい物価の物差しであり、ハンガリーでは常に政治問題として扱われてきた。社会主義時代から世界の天然ガス市場動向とは関係なく安価なガスを供給されており、人々はそれに慣れ切ってしまっていたのである。また、ハンガリーは天然ガスへのエネルギー依存が大きいだけに、世界の天然ガス価格の上昇と同じテンポで住宅用料金も引き上げると、インパクトが大きくなってしまう。

従って、二〇〇六年春に実施が予定されていた選挙の前に改革に踏み切るのは、当時の社会党政権にとって自殺行為であった。特に選挙下馬評では、与党社会党と野党FIDESZの二大政党による前回同様に熾烈な戦いになるとされていた。

表1をご覧いただければ明らかなように、二〇〇四年から二〇〇六年一月にかけての毎年の正規料金(補助金の控除、VAT加算をしていない料金)の値上がり率は、四〇パーセント、十一パーセント、十四パーセントである。しかし一方、消費者負担の最終価格は十五パーセント、六パーセントのみの上昇で、二〇〇六年の一月には前年据え置きであった。あからさまな選挙対策である。

改革

そして議会選挙では、現政権の社会党と自由民主連盟(SZDSZ)が勝利。二期目続投が決まったジュルチャーニ首相は、財政赤字削減のため昨夏から広範な改革に着手した。高等教育機関での授業料導入、医療機関での受診料の導入、医薬品の補助金削減などに加え、ガス料金に対する補助金制度の廃止もその一つであった。こうした不人気な政策を、選挙勝利とともに手のひらを返したように次々と発表し、加えて「選挙で勝利するために経済状況で嘘をついていた」という首相の発言が明るみに出てことから、昨秋大規模なデモ集会が頻繁に開かれ、一部の過激なグループにより暴動にまで発展した。

最終ガス料金の高騰には、こうした補助金の削減に加え、付加価値税(VAT)の課税率が引き上げられたことも影響している。そもそも中間税率が適用されていたガス料金は、二〇〇四年にその税率自体が十二パーセントから十五パーセントに引き上げられたため、結果的に増加している。続いて昨年九月からは中間税率が基本税率に統合されたため、ガス料金への課税率は二〇パーセントになり、市民にとってはまさに「泣きっ面に蜂」であった。

さて二〇〇八年に関しては、エネルギー統制局のホルバート総裁は一〇月、多少の値上がりはあるかもしれないが一〇パーセントを超えるような「大幅な」上昇とはならないだろう、という見通しを示している。

一方政府は一〇月に、低所得者への補助金の予算枠を、今年度一二〇〇億フォリントから来年度八二〇億フォリントへ減額されることを決定している。しかしどこがどう削られるのか、という詳細はまだ発表されていない。

天然ガスへの依存

一人の消費者の立場から見るとガス料金ばかりに目が行くが、マクロ的なところへ視点をズームアウトさせると、ハンガリーの抱える構造的な問題が見えてくる。

まずハンガリーは、エネルギー供給源として天然ガスへの依存が高い。国の年間総エネルギー消費の四四パーセントが、天然ガスである。これはEU諸国の中でも最も高い水準である。(ハンガリーより高いのは、自国の天然ガス資源が豊富なオランダのみである。)家庭では、暖房の九割以上が天然ガスである。また、電力生産の約三十五パーセントがガス火力発電所によるものである。ハンガリーの現在の天然ガスの年間消費量は、一五〇億立方メートル。一九六〇年代に国内で天然ガス鉱床が発見されて以来、一時期は消費量の半分が自前だったが、その後自給率は下がり、現在は約八割を輸入に頼っている。そして、総輸入量のうち、実に九割がロシアからであり、それは国営独占ガス会社「ガスプロム」からである。

天然ガス輸入におけるロシアへの依存が高いは、何もハンガリーだけの話ではない。旧共産主義国を始め、ドイツ、イタリア、フランスも同様である。ブルガリアはほぼ百パーセント依存しているし、チェコやポルトガルも消費量の八割前後を依存している。しかしこれらの国とハンガリーとの違いは、総エネルギー消費量における天然ガスの割合で、ブルガリアが十四パーセント、チェコが十七パーセント、ポーランドが十三パーセントに対し、前述のようにハンガリーのそれは四〇パーセントを超える。(出所:国際エネルギー機関、IEA)そのため、ハンガリーは自国のエネルギー安全保障が、天然ガス供給に非常に左右される構造になっている。

ロシアへの警戒

近年EU諸国らが警戒しているのは、ロシアが天然ガスなどの天然資源の輸出能力を背景に、国際的な影響力を拡大しようと狙っていることである。

今年四月にカタールの首都ドーハで、ロシアなどが出席して「ガス輸出国フォーラム」の閣僚会議が開催されているが、天然ガス価格の見直しに向けてメンバー同士で協力体制を強化しようという動きがみられている。ロシアをはじめとしアルジェリア、イラン、ベネズエラといった国は、「ガス版OPEC」とも言うような価格カルテル推進派で、日本や欧州諸国はかなり警戒している。

今のロシアは、市場原理や透明で公正なルール、制度に基づいて行動しているというよりは、大統領の意向、ロシアの国益といった政治的な動機に基づいて物事が決定されることが多い。来年の大統領選挙の結果いかんでどうなるのか、予測がつきにくい。

天然ガスというのは、石油や液化天然ガス(LNG)のように好きなところから買って、タンクで輸送できるものと違い、パイプラインでしか輸送できない。そのため、そのパイプラインが誰の所有(支配下)にあり、どこを通っているか、というのが非常に重要である。

二〇〇五年末から翌年にかけて、ロシアとウクライナが天然ガス価格を巡って対立した際、ロシアはウクライナ向けのガスをストップさせるという報復措置に出たのは記憶に新しい。しかしそれは、単なる二国間の対立にとどまらず、ハンガリーやオーストリア、他の欧州諸国にも影響がでた。ロシアからのこうした国々へのガス輸出も、ウクライナ国内を走るパイプラインを通じて行われるために、ウクライナが途中で抜き取りをしたためである。そのため、欧州諸国の多くにとって、ウクライナーロシアの天然ガス紛争は「対岸の火事」として済まされる問題ではなく、エネルギー安全保障という観点から、ロシアへのガス依存、またパイプラインのルートの見直しを迫られる事件となったのである。

ロシアからハンガリーへ輸出されるガスは、かならずウクライナのパイプラインを通るが、ハンガリーにとっては、中長期的にはパイプラインのルートを多様化させ、またロシア産への依存を減らすのが課題である。

その一つの取り組みとして、「ナブッコ」パイプラインの建設計画がある。欧州諸国が長らく提案をしているこのプロジェクトでは、黒海産天然ガスが、ロシアを通らずトルコ〜ブルガリア〜ルーマニア〜ハンガリー〜オーストリアというルートで輸送されることになる。

ロシアは、当然のことながら自国の影響力が及ばなくなるナブッコプロジェクトを快く思ってはおらず、「ブルーストリーム」という南部を通るパイプラインの延長計画を推している。そして、ガスプロムはハンガリーに対して、大規模なガス備蓄施設を国内に建設し、ハンガリーを中欧のハブにしようと提案している。

ロシアと良好な関係を保ちたいジュルチャー二首相は、今年「ナブッコ」プロジェクトよりも、「ブルーストリーム」延長計画を支持しているととられる発言をしているが、その後国内、また「ナブッコ」計画を推す西欧諸国から批判を受け、九月になってナブッコ支持の姿勢を打ち出している。ただ、これからもロシアと他のガス輸入国との間で、微妙なかじ取りが要求されるだろう。

またハンガリー政府は、クロアチア政府とも、クロアチア沿岸部に液体天然ガス基地の建設、そしてそこから西欧諸国へ輸送する三四〇キロほどの新たなガスパイプラインの設置計画について合意している。ただ、液化天然ガスは価格が高くなるので、単純に天然ガスの代替とはいかないところが欠点ではある。

その一方で、天然ガスに関しては、住宅の断熱効果が低いためエネルギーロスが大きいことや、火力発電所の老朽化が指摘されている。そのため、これらの分野で改善や、エネルギー供給源の多様化がなければ、消費者の料金だけを引き上げていても問題が解決されるわけではないのである。


パプリカ通信2007年12月号掲載