スポーツを解析する - その二六

フェデラーが君臨する男子テニス 若い力が台頭する女子テニス

盛田 常夫

ハンガリーの超新星:サーヴァイ・アーグネシュ

四半世紀振りに、ハンガリーの女子選手が世界に躍り出た。一九八〇年代初め、テメシュヴァリ・アンドレアがトップテン入りした時はシンデレラと評されたが、サーヴァイ・アーグネシュはテメシュヴァリをはるかに上回るスピードで、二〇〇七年初めの世界ランク二〇七位から出発して九月には一挙にトップ二〇位につけた。トップテンに入るのも時間の問題だ。いや、四大トーナメントでタイトル争いする日も近い。二〇〇八年女子テニス界の風雲児になりそうだ。

一九九〇年代の女子テニス界に君臨したセレシュ・モニカも国籍こそユーゴスラビアだったが、ハンガリー人である。ハンガリーでは突然変異のように、世界の頂点で活躍する選手が生まれてくる。五輪背泳ぎ二〇〇米三連覇を達成したエゲルセギの世界記録(一九九一年)は、未だに破られていない。

テメシュヴァリを育てたのはバスケットボール選手だった父親。父親との関係が崩れてからはテニスに素人の医師の夫が球出しをして、トーナメントを回っていた。腰痛を抱えていたこともあるが、コーチ不在では世界ランクから脱落するのも速かった。

サーヴァイのコーチは、クハルスキー・ゾルターン。一九七九年のジュニア世界チャンピオンで、その後スイスに亡命し、スイスのデ杯チームで活躍した選手だ。一九八〇年の一月だったと記憶するが、ヨーロッパの国別対抗戦(キングズ杯)でフランスのルコントと対戦した試合をジュールで観戦した。すでに現役を退いたルコントが未だ弱冠一六歳、クハルスキーが二〇歳だった。今は昔である。

妖精、それともアマゾネス?

今年、力を伸ばしたのは、セルビアのヤンコヴィッチとイヴァノヴィッチ。彼女たちもここ二年で台頭してきた新星だが、すでにトップテンで活躍している。女子もパワーテニス時代で、それなりの体格がないとトーナメントで勝ち進めない。シャラポワやハンチュコーヴァは一九〇センチ以上の長身。イヴァノヴィッチも一八五センチ、七〇kgを超える体格だから、日本の男子選手より大きいのはもちろん、世界の男子プレーヤーとも体格的に見劣りがしない。NHKのアナウンサーなどはシャラポワを「ロシアの妖精」などと表現しているが、この大女たちは「妖精」どころか、「ヴァルキューレ」、「アマゾネス」という形容がぴったりだ。小柄な日本人選手とは大人と子供ほどのパワーの違いがある。

このパワーテニス全盛時代にあって、女子テニスのトップは小柄なエナンだ。身長が一六七センチ、ウェイトも六〇キロ前後だから、体格では日本選手と変わらない。このエナンがトップに君臨できるのは、男性的なテニス・スタイルにある。まるで小柄な少年が女子に混じってテニスしている錯覚に陥る。片手打ちのバックハンドを含め、すべてのストロークが男子のスタイル。とくにパワーがある訳ではないが、少年テニスで女子テニス界に君臨している。もともと、ベルギーやフランスの女子選手には男性的なテニスをする選手が多い。非常に興味深い現象だ。

「伸びしろ」のある大きなフォーム

サーヴァイは一七五センチでロシアやセルビアの選手ほど大きくはないが、打球に力がある。ストロークだけでなく、サーヴィスもエースをとれるほどの威力がある。優勝したチャイナ・オープン決勝戦のストローク戦では、打球の平均速度が九七km/h(男子のそれは一三〇〜一五〇km/h)で、世界ランク三位のヤンコヴィッチを一〇kmほど上回っていた。この打球の強さはどこから来るのか。

その秘密は彼女のフォームにある。フォア、バックのテイクバックが大きく、サーヴィスもフォームが大きい。大きなテイクバックから生まれる反発力が強い打球を返す。サーヴィスも大きく綺麗なフォームで打つので、スピードだけでなく、コースを狙うことができる。フォームの大きい選手の「伸びしろ」が大きいのは、どのスポーツでも同じだ。

もう一つは、勝負強さだ。一八歳という若さににもかかわらず、淡々とゲームを進めながら、追い込まれてもじたばたしない。この勝負強さは天性のものだろう。ヤンコヴィッチと戦ったチャイナ・オープン決勝は、第一セットのタイブレークを五|〇のリードから失い、続く第二セットはゲームカウント一|五まで追い込まれたが、マッチポイントを凌いでからゲームをひっくり返してセットを取り、相手が気落ちした第三セットを簡単にもぎとって優勝した。ヤンコヴィッチにとって、一生忘れられない嫌な試合になってしまった。

サーヴァイのストロークにさらに磨きがかかれば、四大大会制覇も夢ではないだろう。久しぶりの大型新人で、ハンガリーのテニス界が活気づいている。

四大大会の制覇はなぜ難しい

二〇〇七年のフェデラーは全仏こそ準優勝に終わったが、全豪、全英、全米の三大タイトルを奪って、世界ランキング第一位連続在位の歴代記録を更新している。史上最高のテニス選手という形容詞が付けられるほどになっている。フェデラーに残された記録は、いまだ頂点に立っていない全仏制覇とサンプラスが持つ一四タイトルに二つと迫っている四大大会制覇記録である。

テニス選手にとって、四大大会の制覇が難しい理由にはいくつかある。

一つは、体力である。四大大会のエントリーは一二八名、五セットマッチ(三セット先取)。四大大会はすべての選手が一同に会する長丁場の闘いになる。一回戦から熱戦になり、多くの試合が五セットまでもつれ込む。フルセットまで行くと四時間近いゲームになるが、初戦から五セットマッチをやっていたのでは、大会途中で息切れしてしまう。大会制覇には七試合を勝たなければならないが、多くの選手は決勝に至るまでに体力を消耗する。

二つは、サーフェイスである。ゴルフでも芝が違えばパットのスピードが違う。それ以上にテニスのサーフェイスはテニス・スタイルそのものに影響を与える。昔は全豪と全英が芝だったが、今では全豪も全米と同じくハードコート。全仏は赤土である。ハードコートでは球のイレギュラーはないが、打球が速くなる。他方、赤土では打球の勢いが消されるために、サーヴィスでポイントが決まることはほとんどなく、ストローク合戦になる。これにたいして、芝では球が滑って弾まず、球が速くて打点を捉えるのが難しい。ところが、大会が進んで、芝が禿げてくると、今度はハードコートとクレーコートの中間のようなサーフェイスになるから、全英のコートは難しい。観ていて一番詰まらないのが、この全英オープン。一番面白いのが、ラリーが長く続く全仏。あのサンプラスも、とうとう全仏のタイトルなしで引退した。サンプラスの前に立ちはだかったのが、クレーのスペシャリスト、スペインのブルゲイラだった。今、フェデラーの前に立ちはだかっているのも、同じくスペインのナダル。スペインはクレーコートが多く、赤土を得意とする選手が多い。

三つは、プレースタイル。全英で有利なのは剛球サーヴをもつ選手。芝ではまず時速二〇〇kmを超えるサーヴィスは返球できない。歴代の優勝者の多くは、サーヴ・アンド・ヴォレーを得意とする選手。全仏はストロークに強い選手に有利。脚が速くて粘り強くストローク合戦できる選手が制覇する。全豪、全米はオールラウンド・プレーヤー向き。

このように、四大大会の一つを制覇することはできても、四つすべてを制覇するのは至難の技だ。選手それぞれにプレースタイルや得意なサーフェイスがあるから、サンプラスやフェデラーのように、タイトルを積み上げられるのは余程の才能がないとできないことなのだ。

フェデラーの強さ

現代テニスの出発点は、八〇年代に活躍したボルグ、レンドル、コナーズにある。ボルグはスピン打法、レンドルは強烈なパワー、コナーズは両手打ちの元祖である。ドラキュラーを彷彿させるレンドルが登場した時は、皆、そのパワーに驚いたものだ。ハンガリーの世界ランキング選手だった正統派テニスのタローツィも、彼の力の前に為す術がなかった。他方、女子のパワーテニスの出発点はセレシュだろう。フォア、バックともに両手打ちの強打は、女子テニスの観念を変えた

今、男子も女子もパワーテニス時代にあって、片手打ちのフェデラーとエナンがトップに立っているのはやや意外な感じがする。というのは、最近は両手打ちが全盛になり、パワーの差が縮まり、一人の選手が圧倒的に勝ち続けることができなくなったからだ。このパワーテニス全盛時代に、バックの片手打ちで対抗する選手が長期に世界第一位を維持できるのは不思議な感じがする。その強さはどこにあるのだろうか。

フェデラーは意外と格下相手に手こずることがある。ところが、二〇〇七年全豪オープンで一セットも落とさなかったように、セットを落としそうで落とさない。紙一重で負けない。この一重が小さいようで大きい。彼の勝負強さを支えているのが堅固なディフェンスだ。コーナーにさえ決まらなければ、時速二〇〇kmを超えるサーヴィスでも綺麗に深くリターンする技術をもっている。この反射神経は凄い。サーヴ・レシーブのうまさが、彼の勝負強さを支えている。

もう一つは、片手打ちの技である。両手打ちの選手は打球に変化や緩急を付けるのが難しい。ところが、片手打ちの場合は、バックハンドの打球のパワーは落ちるが、球に回転や緩急を付けるのが容易だ。事実、フェデラーの打球を見ていると、繋ぎはスピンで、勝負球はフラット系の速い球を繰り出し、力負けせずにスライス、スピン、フラットと打ち分けている。この緩急の変化と球種の多様さが、パワーテニスの中で光っている。まさに、技で力を制していると言える。オールラウンド的な多彩さは片手打ちの技術からきているのだ。

しかし、見逃してならないのは、サーヴ力(ヴォレー力)と脚力である。一見してフェデラーの強さはストローク技術にあると思えるが、要所のポイントはサーヴィス・エースでとる。実際、フェデラーはサーヴィス・エースのトップテンに入っている。サーヴスピードは一九〇〜二一〇km程度でロディックやカーロヴィッチなどのように二三〇kmもの剛球ではないが、制球力があるのでこのスピードでもエースになる。また、ナダルの脚の速さに眼を奪われるが、フェデラーもかなり脚が速い。ここでも世界の五本の指に入るだろう。

これらの技術や力をもつフェデラーは何よりも試合時間が短い。平均して一セット三〇分前後である。セットを失う場合でも、三〇分程度で済ましている。二時間を超える試合は四大トーナメント最後の二試合程度だ。四大大会の長丁場でも、他の選手の半分程度の消耗度で済んでしまう。非常に効率のよいテニスが、四大タイトルの積み上げを可能にしているのだ。

テニスの四つ相撲、押し相撲、横綱相撲

四大大会で常にフェデラーに最大の敵として立ち向かっているのが、スペインのナダル。この二人がダントツで今の男子テニス界をリードしている。そのテニス・スタイルはまったく対照的だ。

ナダルは典型的なストローク・プレーヤー。驚異的な粘りと、感嘆する脚力・走力で、ストローク合戦を制する。このタイプのテニスは自然とプレー時間が長くなる。サーヴのスピードは並。サーヴで勝負するのが押し相撲だとすれば、ナダルのテニスは四つ相撲。彼のスタイルにぴったりの全仏は彼の独壇場になる。他方、このスタイルが他の四大大会のタイトル奪取の障害になる。一言で言えば、ナダルのテニスは力戦型。赤土では脚にかかる負担は軽減されるが、芝とハードコートでは故障の原因になる。全米では両膝に加え、手首も痛めたために、決勝に進むことができなかった。このスタイルでは全仏以外のタイトルを取るのは非常に難しい。二〇〇八年男子テニスの最大の見所は、フェデラーが全仏のタイトルをとって、サンプラスも達成できなかったグランドスラムを達成するかどうかだが、ナダルが故障を抱えたままだと、フェデラーに展望が開けてくる。

フェデラーのテニスは相撲で言えば、横綱相撲。相手が押し相撲であろうと、四つ相撲であろうと、どうにでも対応する。野球の投手で言えば、球種が多くて、打者は的が絞れない。加えて制球力に優れ、それでなおかつ直球のスピードが一五五kmは確実にある。こうなると、打ち崩すのは並大抵ではない。これがオールラウンド・プレーヤーと言われる所以だ。

これに対して、ナダルは投手で言えば、高速スライダー一本で、コーナーをつく球で勝負するタイプ。直球はそれほどのスピードがないが、制球力が抜群で、フィールディングが最高に上手い。四つ相撲だから、圧力のある押し相撲(サーヴ力のある選手や速いサーフェス)に弱い。

やはり今年急上昇した選手の中に、セルビアのジョコヴィッチがいる。彼のテニス・スタイルもナダルやロシアのダヴィジェンコと似ている。フェデラーがナダルとジョコヴィッチを倒せば、年間グランドスラムが見えてくる。年齢的にも二〇〇八年が頂点だろうから、ここが最後で最大のチャンスかもしれない。


パプリカ通信2007年12月号掲載