ハンガリーい、ろ、は

21.東欧の人気アニメ作品

鷲尾亜子

「共産主義時代に製造されたモノ」と言えば、何だか質の悪いものの代名詞のように語られてしまうことが多いが、その時代にこそ開花した素晴らしいものも実は沢山ある。ハンガリー、そして同様の体制をとった近隣諸国におけるアニメ、テレビ漫画がまさにその良い例である。今月はちょっと趣向を変えて、ハンガリー、及び東欧諸国の代表的なアニメ作品をご紹介しよう。

東欧におけるアニメは、六〇年代くらいからテレビの普及に伴って発展した。この頃のアニメは、一秒におけるコマ数もそれほど多くなく、画面もシンプルなものが多い。クルクルと場面が変わり、情報が多い現代のアニメに比べると、至極シンプルである。しかし、ストーリ性、映像ともに質の高いものが多い。日本で「ドラえもん、」「サリーちゃん」あたりを観て育った世代の方々には、懐かしいような、ほっとするようなものが多い。

ほとんどの作品は、共産主義を称えるプロパガンダ的なものでもなく、また道徳を強く押し付けるものでもない。逆に、暗に体制を批判するようなものでもなく、娯楽に重きを置くものだったと言える。(もっともハンガリー政府が六八年に、計画経済に市場原理をとりいれる「新経済メカニズム」を導入した際は、Dr.Ágyというアニメでそのメカニズムを説明する試みが行われている。Dr.Ágyは、ブレインという意味。

体制転換以降は、ディズニー映画や日本のアニメに市場は押され気味で、残念ながらハンガリー産のアニメで、大ヒットし何世代に渡っても生き残るような作品はない。これからご紹介するのは、世代を超えて愛されている作品のほんの僅かな例である。幸いなことにYouTubeでかなりのものをかいつまんで観ることができる他、DVDでも一〇〇〇フォリント程度のものがほとんどである。セリフがないものが多いので、どなたでも十分楽しめるだろう。

***「コツカーシュフル・ニュール(Kockásfül nyúl)」

コツカーシュフル・ニュールは、そのまま訳すと、「チェック模様の耳のうさぎ。」「ラチとライオン」などで日本でもよく知られている絵本作家マレーク・ヴェロニカさん原作。七八年よりテレビで放送された。

このうさぎちゃんは、あるビルの最上階の物置部屋にあるスーツケースに住んでいて、毎朝体操をしに屋上に出る。そしてその後に望遠鏡で、街の様子をうかがい、困っている子がいたら飛んで行き、解決するのを手助けする。たいてい、腕白少年にいじわるされた、とか、「事故」的なトラブルが発生してしまった、というようなものである。言ってみれば「ラチとライオン」に登場するライオンのうさぎ版であり、この「問題、困難にあたったら解決していく」というのは彼女の作品ほぼすべてに通ずるテーマである。

このうさぎ、体全体が鮮やかな黄緑色で、耳がとても長い。そして内側がピンクのチェックという不思議な組み合わせ。一度見たら忘れられない。マレークさんは、この話を生み出すとき、とにかく「ひどく長い耳を持ったうさぎ」にしようとした、とあるインタビューで語っている。*

その後、アニメ映画監督でグラフィック・アーティストのリッヒリィ・ジョルト氏と出会い、彼がコツカーシュフル・ニュールを創りだし、長い耳をヘリコプターのプロペラのように使って飛べるようにした。

一話は五分足らず。そしてセリフがないため、絵を追っているだけで何が起こっているかわかるようになっている。これは実はとても骨の折れることだった、とマレークさんは語っているが、これがハンガリー国内のみならず、他の東欧諸国を含む約九〇の国に簡単に広まっていく一つの要因となった。

現在でもノート、筆箱、ぬいぐるみ、とコツカ―シュフル・ニュールのキャラクター商品は出回っており、ディズニー映画の商品が一―二年の周期で入れ替わるのに対し、息の長い商品となっている。作品自体は七〇年代に制作されているため、当時の洋服や、家の中のタイルの模様などがレトロで可愛らしい。

「フラック、猫にとっての脅威(Frakk,amacskákréme)」

フラックは犬で、ハンガリー人が愛して止まない国民犬「ビジュラ(Vizslaハンガリアン・ポインター)。」この犬種はもともと猟犬だが、人間と一緒にいるのが大好き、そしてその忠実さや誠実さで知られる。フラックは、イルマおばあちゃんと、カーロィおじいちゃんというチャーミングな老夫婦に飼われている。

元々この家には、イルマおばあちゃんが可愛がっている猫二匹しかいなかったが、日頃からカーロィおじいちゃんは、自分のソファーを占領されたりして猫の存在を疎ましく思っていた。そんな時におじいちゃんが連れてきたのが、フラックである。

アニメは五分くらいの短編が集まったシリーズもの。たいてい猫が悪だくみをして、フラックはそれを未然に阻止しようとするが、まんまと罠に引っ掛かってしまうことも多い。そして、カーロィおじいちゃんがフラックの肩を持ち、イルマおばあちゃんが猫をかばうといった構図であるが、実に、典型的な「猫」対「犬」がうまく描かれている。また老夫婦の関係もユーモラスに描かれている。

また、作品の中にはプルクルトやコールバースが出てきたり、リバマーィ・パシュテートム(フォアグラのパテ)といったハンガリー料理が出てきたりして楽しい。時にはフラックが人間の言葉を話すことはもちろんのこと、長い箒で掃除をしたり、自転車に乗ったりする非現実的なシーンが登場するが、それも「フラックが人間だったら、こういうお手伝いをしているだろうな」と思えば受け入れられるだろう。

絵は、一秒間に二コマくらいしか動いていない感じで、切り絵アニメかな、と思うほどだが、それもほほ笑ましい。七二年から八六年にかけて制作された。

その他のハンガリー作品

以上の作品以外にも、卓越したものは非常に多い。短編シリーズから幾つか紹介すると、髪の毛二本を残してハゲ頭で小市民の典型のような「グスターヴ(Gusztáv)。」六〇年代に登場したキャラクターである。

ドジな釣り人を描いた「ナジュ・ホホホルガース(Anagyho-ho-horgász)」、カツラのようなフワフワした生き物が、友達の女の子に不思議で愉快な話を語ってくれる「ポムポム(Pom-Pom)。」その他、ハンガリー人が今でも熱く語ってしまうアニメは枚挙にいとまがない。また「マンガ日本昔話」のように、ハンガリーの民話をアニメにしたテレビ番組も制作されている。

長編で人気を博したのは、キツネの子供が立派なハンターに成長していくまでを描いた

「ヴック(Vuk、一九八一年)。」国内のアニメ映画では、興行成績一位を誇る。一方、猫のギャングたちがネズミを一掃しようとする「マチカフォゴ―(Macskafogó、一九八六年)」を「これぞハンガリーアニメの逸品」として挙げるハンガリー人も多い。残念ながら筆者はこれを見る機会にまだ恵まれていないが、ある友人曰く、「これを十二分に楽しむには、ハンガリー人、そして一八歳以上でないとならない。」それだけハンガリー的な駄洒落、ジョークが散りばめられていて、他の言語へ翻訳不可能らしい。またこの作品にはジェームス・ボンドのパロディーも入っているらしい。

最後に、八一年に制作された少し変わったアニメ「ハエ(légy)」をご紹介しよう。この三分にも満たない作品は、ハエの視点からすべてを描いている。外から人間の家に入り、住人に追いかけられて何度もたたき殺されそうになる。映像はセピア色に近い黒と白だけで、ハエの視点通りぐるぐる回るので、観ていて途中酔いそうになる。しかしハエの見る世界はモノクロだそうだし、この色合いはどことなくシュールでストーリーとよくマッチしている。この作品はみごとオスカー賞を得ている。

「ロルカとボルカ(LolkaésBolka)」(ポーランド)

こちらは六四年から始まったポーランドの作品で、オリジナル・タイトルは「ボレクとロレク。」なぜこれがハンガリーで順番が逆になったのかは定かではない(ご存知の方、教えてください!)。

ロルカとボルカは二人の男の子で、子供がいかにもやりそうないたずらを色々して、ドジを踏み、何かに追いかけられてしまったり、、、というのが定番。この作品もセリフがないため、誰でも楽しめる。

「小さなモグラくん(Kisvakond)」(チェコ)

日本では「モグラくん」と呼ばれ、近年人気上昇中らしい。新しい本、DVDも出ている。ここで紹介している東欧のアニメ作品は、どれも甲乙つけがたいが、総合的に筆者が一番好きなのはこの「モグラくん」である。

原作者は、チェコのズデネック・ミレルさん。モグラくんのオリジナル・タイトルは「クルテクKrtek」(そのままずばり、「モグラくん」の意味)。

黒くて、丸くてとても愛嬌のあるモグラの男の子が、森の仲間うさぎ、ねずみ、はりねずみなどと色々な物語を展開していく。子ども用の話でありながら、幼稚さがなく、大人が見てもちっとも退屈しない。むしろその秘められたメッセージにドキリとしたり、小さな動植物をいたわるモグラくんに、心が温まったりする。またキャラクターの可愛らしさだけではなく、背景の描き方も日本とは違ったもので興味深いし、何より単純な線でありながら美しい。ストーリーとあいまって、もぐらくんシリーズは叙情的である、といっても大袈裟ではないだろう。流行った言葉を借用すれば、まさに「癒し系」でもある。

第一作となったのは「モグラくんとズボン」で五七年。ズデネックさんがインタビューで語っていたところによると**、それから遡る五四年に、当時からアニメーターで、バランドフ映画制作撮影所(現在でもチェコ屈指の映画制作撮影所)に勤めていた彼に、「子どもたちに麻布がどうやって作られているかを教えるアニメを制作してほしい」という課題が与えられた。「いったいどうやって、一見この無機的なことを子どもたちを飽きさせることなく紹介させようか」と頭を痛めていたある夜、外を歩いていて何かにつまずいた。それがモグラの巣だったことから、閃いたという。「モグラくんとズボン」では、モグラくんが人間の男の子の赤いオーバーオールが洗濯で吊り下げられているのを見て、「あんなのが欲しい」と思うのだが、どうやって手に入れられるか、わからない。そこで、森の仲間たちが助けてくれる。まず原料の亜麻をとって、カエルが麻糸を染めてくれる。そしてクモが糸を巻きつけて、アリたちが織る。そしてサソリが布を切り、、、といった具合で、工程が全く自然な形で紹介されていく。この作品は、五七年、ヴェニス映画祭のアニメ部門で一位に輝いている。

共産主義時代から、近隣の東欧諸国へはもちろんのこと、「西側」諸国にも映画は輸出された。当時の政府にとって、「モグラくん」は重要な「外貨」の稼ぎ手だった。現在では約九〇か国に広まり、映像だけでなく、本やまたキャラクター商品も多く出回っている。

ハンガリーでは親子二代、三代でファンという人たちも多い。筆者のお勧めは「モグラくんと時計」と「モグラくんとオオワシ。」「モグラくんとズボン」では、極々短いセリフが稀に出てくるが、その他の作品ではセリフがないので誰でも楽しめる。(笑い声は、ズデネックさんの娘の声である。)

最後に、ズデネックさんにとって、「モグラくん」は現実ではなるのは難しいが、自分自身がなりたいと思っている理想像なのだそうである。世界での「モグラくん」の成功にも関わらず、プラハのご自宅は派手なものからは程遠いもので、八〇代後半とご高齢になった今、それほど友人とのつきあいもなく、静かに暮されているそうである。

「ヌ・パガヂー!(NuPagadi,No,megálljcsak!)」(ソ連及びロシア)

言ってみれば、「トムとジェリー」のソ連版。

ソ連時代の六九年から始まり、ロシアに体制が変わってからも九三年から〇四年まで新シリーズが作られ続けた。オオカミが、可愛いウサギをしとめて食べてしまおうと追いかけまわすが、かならずウサギにしてやられる。最後にかならず、「ヌ・パガヂー!」と叫ぶことから、この題名がついている。これはロシア語で、「待ってろよ!」「今にみてろよ!」とか、「覚えていろよ!」といった意味である。ロシア語を学校で習ったけれどすっかり忘れたハンガリー人、またはロシア語を全く知らないハンガリー人でも、この「ヌ・パガヂー!」だけを知っている人は多い。

「トムとジェリー」と大きく違うのは、このオオカミの素行が何となく不良っぽく、そしてとても人間臭いところである。ヘビースモーカーで、しゃがれた声を持ち、格好はどうもだらしがない。そして電話や博物館の公共物を破壊したりする。ただ、いろいろ作戦を練るわりにはヘマをよくやらかすので、憎めない。追いかけられる方のウサギは、品行方正の模範のようなキャラクター。そのため、トムとジェリーよりも、キャラクターの対比がはっきりと見られる。

他のアニメと比べ、映像がそれほど素晴らしい訳ではないが、ロシア国内で大ヒットし、そして東欧諸国でも受け入れられたのは、単純だが笑える話だからではなかろうか。

この人気作品の解釈を巡っては、「労働社会階級(オオカミ)対知識階級(ウサギ)」を描いているなど、何かと裏に別のメッセージが隠されているのでは、と言われることが多いが、監督自身はそういった意図は全くないと一貫して否定している。そして、これは弱い者いじめはやめよう、結局は自分がはまってしまうのだから、というような単純なストーリーであると繰り返し語っている。

もっとも、当時の体制を批判するようなシーンはないにしても、例えば博物館で監視するはずの館員が居眠りをずっとしているような描写はある。意図しなかったにしても、結局は当時の社会や生活スタイルは描かれているし、「労働者の国」の矛盾もチラチラと見受けられる。

*Origo,“Kellegymagocska,amiagondolatotelindítja”2001/04/01 **NewYork Times,“THESATURDAYPROFILE;50YearsofBurrowingGentlyIntoCzechCulture”2004/03/06


パプリカ通信2008年1月号掲載