名前に思いを馳せて

糸見 偲

 何時だったかJSTVで有る事件の報道がなされた。詳しい内容は忘れてしまったがアパートに忍び込んだ男が部屋にいた女子大生を殺害したと云うもので随分と世間を騒がした事件だった。犯人は割に早く見つかり連日テレビで報道され、ニュースの都度、大写しの顔写真と名前が出ていた。犯人が捕まったことで騒ぎも治まり、しだいに事件も忘れられていった。私自身も、もう記憶が薄れてしまっているが、不思議に犯人の名前だけは今でもハッキリと覚えている。彼の名前は希望と書いてノゾミと読む。二十六才。こんな良い名前を持っていて何故と思った。彼が生まれたとき両親はきっと色んな名前を考えたのだろう。素晴らしい名前を付けてもらって何故と思った。「私達の希望よ」と大事に、大切に育てられたに違いないのに・・・・一体この青年の人生はどこで狂ってしまったのだろう。犯罪を犯したのにはそれなりの理由が有るのだろうが、何か私は無償に腹立たしさを覚えていた。

 私は三十七才で男の子を出産した。予定日より4週間も遅れたので体重も身長も並はずれて大きく、62センチと云う身長は間違いじゃないかと2度も測り直したと聞いた。普通分娩の筈だったが、過熟児と言うことで最後の最後には帝王切開になった。そして昭和五十年一月一日の零時零分に3990グラムの大きな男の子を産んだ。彼が生まれる数週間前私達夫婦は色んな名前を考えた。ハンガリーではよく最初に生まれた子供には祖父母の名前を貰って付ける。親子で同じ名前と云うのもザラにある。同姓同名が多いのにも驚く。日本と違って漢字で書かないので、人まちがいがよくある。そんな時、母親が未婚の時の名前を見て区別をする。同姓同名でも母親の名前で別人だと分かるのだ。ハンガリーに来た始めの頃、証明書を取るとき必ず母の名を書く欄があって不思議に思っていたら、こう云う事なのだ。新しく生まれてくる子の為に私達はあれだこれだと言い合って、いつも最後は口論になった。「お祖父ちゃんやお祖母ちゃんの名前は嫌よ。貴方の名前も駄目。」「それじゃあ、君が女の子、僕が男の子の名前を考えて相談し合おう。」「呼びやすくて音の響きが良い名前を見つけてね。」と言う事でお互いにこれぞという名前を二つずつ挙げる事にした。可愛くて、響きがよくて、漢字でも書けて素敵な女性になってくれるような名前を探した。カレンダーをめくり、めくりして探した。ハンガリーではカレンダーの中に聖書に由来する名前とかハンガリー古来の名前とかが日別に記されている。その中から見つけるのであって勝手に新しい名前を何でもと云うわけにはいかない。でもどうしてもと云う場合は科学アカデミーに出向いて言語学者にお伺いを立てる。

 女の子の名前は可愛いのがいっぱいある。漢字で書けそうなのもある。エリカ、イロナ、キンガ、レイカ、イモラというのもある。妹良と書けば万葉的で良いじゃありませんか。しかしエリカ、イロナは夫が嫌だと云い、キンガ、イモラは母の反対に会った。「学校で金魚とかイモリとか、お芋とか云ってからかわれるし、最初の子に妹とはねえ」それで結局残ったのがレイカ。夫が選んだ男の子の名前は・・・・まあ、驚いた!「アーコシュとマルトンだって!」幾らなんでも自分の子供に丸い豚とは書けません。アーコシュもねえー。コーシャ

 アーコシュ、音が沈んでるから駄目。「やっぱり夫には任せておけない」と私はまたカレンダーをめくりめくって、やっと二月十四日の名前バーリントを選んだ他の国ではバレンタインとかバレンチノ、バランタンと呼ばれている。日本語では書けないが響きが良いし、第一、名前のバースデーがバレンタインデーなんて良いこと。生まれてきたのは男の子だったのでバーリントになった。でもやっぱり日本名も付けてやりたい。いろいろ考えたがなかなかよい名が思い浮かばない。よい名前をつけてもらったと成人したとき誇れるようなそんな名前を見つけたい。元日の未明に生まれた坊やのためにと思った途端、ひとつの言葉が浮かんだ。「黎明旭日」。そうだ黎明の黎と付けましょう。「彼のこれからの人生にどうぞ明るい夜明けが訪れますように」そう呟くと胸がいっぱいになった。二つも名前は要らないと夫は言ったけれど、どうしてもと私は頑張った。「だって、この子は私の希望だから。」そうであって欲しいと願った。

 私自身も親から素晴らしい名前をつけてもらった。『偲』という名である。子供の頃、この名前が嫌だった。ちっとも女の子らしくない、可愛くない名前。小学校のころ先生に名前を呼ばれると、みんな大きな声で「ハイ」と返事をするのに私は小さな声で「ハイ」だった。自己紹介する時もどうしてこんな名前を付けてくれたと親を恨んだ。母に尋ねると、「偉い先生に見てもらったら、この偲という字は字画も良く、滅多にない素晴らしい名前ですって。」辞書を引いてみると当用漢字にも人名漢字にもない。「辞書にもない漢字、幻の漢字だから滅多にない名前なんだ。そうするとこの名前は日本中で私一人なのかも知れない。」そう思うと今までのわだかまりが吹っ飛んだ。それからは男おんなと言われようと中国人と言われようと平気だった。大人になって、グーさんとかハニワさんとか呼ばれることがあっても平気だった。ハニワさんと言われた時はさすがびっくりした。多分、偶人(でく、人形の意)の偶から考えたのだろう。「まさかデクさんと言えないからハニワにしたのかな」と感心したりした。最近はいろんな所で偲という字を見る。国語辞典にもちゃんと入っている。「忘れようにも忘れられず心の中に生き続ける対象の存在に思いを馳せる」という意味らしくなんとなく切ない。中国の知人にも尋ねてみた。「私の名前中国人的でしょ。」暫くしてFAXが届いた。「この字の名前は中国でも見当たらないけれど多才という意味の形容詞で、『其人美且偲』という例もあります。素晴らしい名前ですね」と嬉しいことを書いてきてくれた。

 ハンガリー人と結婚するに至って名前をどうするかと言うことになった。ハンガリーでは結婚すると女性の姓は夫の姓に変わる。これは日本でも同じだが、少し違う。異議をとなえない限り大体は夫の姓名の後ろにnéがくっ付いて、それで私の名前は消える。あとは娘のころの名前と言う欄で本来の私の名が残る。私の場合コーシャ・フェレンツネェとなるのだが何となく自分の意に沿わない。どうしてもこのネェと呼ばれるのに違和感がある。「日本国籍を保持しますから名前もそのままにして下さい。」と言ったとき夫は「うん」とうなずいてくれた。大事に大切にしてきた名前を過去形にはしたくなかった。こうして私は生まれた時にもらったままの姓名を現在も維持している。近年、私の知人の間でも夫婦で別姓を名乗っている人が多くなってきているがそれぞれ理由が違う。再婚とか職業上名前を変えると不便だからとか、でも私は違う。余程のことが無い限り私はサインを漢字でする。ローマ字で自分の名前を書くと自分では無いような気がする。ハンガリーに住んで40年近くにもなり、生活習慣もハンガリー的になってきたが未だにこの習慣は変えていない。漢字で自分の名前を書くと不思議に落ち着くのはどうしてだろう。どうしてこんなに自分の名にこだわるのか分からない。多分私は異国で生きる自分自身を見失いたくないのかもしれない。自分の名前を漢字で書く時、私が私であると言うことを確認している様な気がしている。


パプリカ通信2008年2月号掲載