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 編集部より

 



           第7回 指揮者 原口 祥司さん    2017年12月18日

 
              
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年ぶりのハンガリー国内開催となった指揮者部門の国際コンクール『マエストロ・ショルティー国際指揮者コンクール』のファイナリストとなった原口 祥司さん。ハンガリー在住5年目そしてリスト音楽院留学・卒業を経ての今回の挑戦を、ファイナル開催地のペーチ市よりブダペストへ帰られた翌日にインタビューをさせて頂きました。

Q) 今回の出場きっかけは?

原) 2016年の夏にバルトーク音楽祭に参加した際に、今回のコンクールの主催でもあるフィルハーモニアからハンガリーで指揮者コンクールが開催されるので是非参加しないかとお誘いを受けた事がきっかけでした。その後、20175月に申請をし、予備審査合格の結果が届いた7月から1215日のファイナル(本選)まで、約5か月半かけて課題曲全28曲を準備した事になります。今回は約40カ国から186名の参加者と共にスタートし、最終的にファイナルの6名に残ることができました。

Q)  『マエストロ・ショルティー国際指揮者コンクール』という名称では第1回となりますが、久々のハンガリーでの指揮者部門の開催の誘いを受けた時はどう感じましたか

原) ハンガリーで国際指揮コンクールが開催されるのは約15年ぶりです。43年前に第1回が開催された時の優勝者が皆さんもご存知の小林 研一郎さんでした。小林先生は、そこから一気にハンガリー国内で有名になり、指揮者としての活動に勢いをつけた事は私もよく知っていまし。是非、自分も小林先生のように指揮者として後を追いたいという気持ちがありましたので、今回チャレンジしました。

Q  約半年間という、とっても珍しい長期戦の国際コンクールだったと思うのですが。

原) ありえない・・・(笑)

Q  そのありえない中(笑)、ありえない課題曲数かと思うのですが、どのように選曲されたのでしょうか。

原) 自分で選曲できる事はありませんでした。1次からファイナルまでの全ての審査が抽選で曲が決まります。しかもその抽選は前日の夜に行われるという徹底ぶりでした。

  例えば1次審査では、夜8時に抽選が始まって、翌日早朝から審査が始まるという形でした。抽選までは8曲の課題曲全てをきちんと学んでおく必要がありました。ハンガリー国立歌劇場管弦楽団がエルケル劇場で演奏を担当し、オペラの序曲などが課題になっていました。一人15分間と決められた短い時間の中で、次のラウンドに行けるか行けないかが決まってしまいます。特に1次・2次審査は本当に厳しいステージだったのではないかと思います。

Q  その短い時間で、どうパフォーマンスしていくのか、心がけた事は何でしょうか。

原)  1次審査はオペラの序曲が中心でしたので、その曲のみを学ぶのではなく、その曲が使われているオペラがどのような物語で、どの部分に使われていて、どのような歌詞が付いているのかなどと言う事も含めて準備をしました。実際にその内容を試されている部分もありましたし、国立歌劇場のオーケストラを指揮する事で、彼らは指揮の判断を即座に感じ取ります。何が良くて何が悪いのかと、ある意味オーケストラメンバー全員が審査員と言っても過言ではなかったかと思います。演奏後とても手ごたえがありましたし、自分のやりたい事に対してオーケストラが反応して演奏してくれた事がとても嬉しかったです。それがあって2次審査へと駒を進むことができたと思います。

Q)  2次審査進出決定から2次審査まではどんな風に進んでいったのでしょうか。

原) 1次審査結果を受けて嬉しさもつかの間、深夜12時を周り、すぐに2次審査に駒を進めた15名で抽選を行いました。課題曲はアリアもしくはコンチェルト(協奏曲)そして、オーケストラ編成の大きくない交響曲でした。私はショパンのピアノ協奏曲ヘ短調2楽章、そしてシューベルトの交響曲第5番を引きました。

ショパンの2楽章は協奏曲とはいえアリア的で、Recitativo(レチタティーヴォ、話すように歌う)楽曲とも言えます。表現するには難易度が高く、これは何て曲を引いてしまったんだ!と思いました。他の課題にあがっていた交響曲は演奏した経験がありましたが、シューベルトの交響曲は初めて挑戦する曲、気の引き締まる思いでした。

今度は場所もブダペスト市からペーチ市に変わりました。気持ちを切り替えて移動の間も課題曲の準備に取り掛かっていました。移動日を経て審査がスタート、そして演奏はジュール市交響楽団が担当しました。ジュール市交響楽団は今まで何度もコンサートに足を運ばせて頂いていたことから、どういう風な響きのオーストラなのかを理解し、準備する事ができました。

Q)  そしていよいよファイナリストとして挑んだ事はなんでしょう。

原) まず私は、ファイナルの抽選で課題曲6曲中バルトーク『舞踏組曲』を引きました。6曲の中でも一番やってみたいと思っていた反面、一番難しい曲とも感じていました。まさかここで引いてしまったか…という思いでしたが、リスト音楽院指揮科時代からの仲間からエールやアドヴァイスを頂きました。もともとハンガリーに留学するきっかけとなったのがバルトークとコダーイ作品を習得する事でした。ブダペスト市内外のバルトークの住んでいた家14か所を周ってみたり、博物館や研究所に足を運び自筆譜を閲覧させて頂いたり、ナジセントミクローシュ(現在のルーマニア)のバルトーク生家を訪問してみたりと、実際にゆかりの地に足を運びながらバルトークがいつ・どこで・どの作品を・どの民謡や景色を取り入れて作ったのかなどを肌で感じながら情報収集してきた中で得た経験を、今回のファイナルでフルに出していこうと決心し、準備に取り掛かりました。『舞踏組曲』は曲の構造が複雑になっていてハーモニー同士が重なって出来る“歪み”から来る緊張感が常に混在していて非常に興味深く、難しい。その構造をかなり理解していないと効果が音楽に現れません。ファイナルのオーケストラはペーチ市のパンノン交響楽団が担当しました。45分間の限られたリハーサル時間内での音楽づくりと修正。与えられた時間の中で出来ることは限られてきます。それをどうステージ上で奏者に簡潔に伝えていくかを考えました。ファイナル本番では、今の自分が出来る精一杯の理解力、情熱、冷静、そして無心で臨みました。コンクール時は、各指揮者が順番にある一定の時間オーケストラを振っていきます。ここで面白いのが、最初振りはじめた時には、まだ前の指揮者の音がオーケストラからするんです。なるべく早い段階で自分の音、もしくは作曲家の音に作り上げていく所に自身の技術やスキルが必要となっていく訳です。前半は思っている方向に近づけていく作業、後半は自分の思う方向に変化させていく事が出来ました。バルトークの作品は今まで何度か演奏する機会に恵まれましたが、冷静な自分を保ってないと演奏できないようにバルトークが書いていると経験上承知していました。そこは対応出来たのではないかと思います。

  審査終了後、審査委員長でもあったウトゥヴシュ・ペーテル(Eötvös Péter)先生から『まるで侍の如く取り組んでいましたね。曲はenemy(敵)ではないよ。緊張のみならず、やはりくつろげる場所も貴方の音楽から感じられると更に良かったと思う』という、もったいない位の誉め言葉でありましたし、完全に今の自分をクリアに見られていたなと感じ取ることも出来ました。まさに金言、本当にこのようにコメントして頂き有難かったです。

Q)  バルトーク作品の難しさとは。

原)バルトーク自身が、実際にある出版社宛に手紙を書いています。

  『私の作品は、良いオーケストラと良い指揮者でないと良い演奏にはならないのです。ですから、良いオーケストラ、良い指揮者でければ、私の作品を演奏しないでください。』と。

  これが全てと思います。そして彼自身、自分の曲を何かに形容されることを非常に嫌がったそうです。

Q)  各審査員からコメントなどは頂く事は出来たのでしょうか。

原)今回はテレビ放送も企画されていた為、コンクール全体がオーディション番組のような形でした。1次審査~ファイナルまで自分のステージが終わってすぐに、会場の皆さんの前で審査員からコメントを頂くというものでした。5年前にハンガリーに来た時から私が注目しているハンガリー人指揮者ケシェヤーク・ゲルゲイ(Kesselyák Gergely)氏が今回の審査員の中に居る事がとても嬉しかったです。

好きな指揮者に自分の音楽表現がどう伝わるのかと思うと、もちろんコンクールでもあるのですが、自身をアピールできるチャンスでもありましたし、その反面、このチャンスがいかせなかったらという心配もありました。これはファイナルが終わってからの事ですが、ケシェヤーク氏からとても嬉しい言葉を頂けた事、そして今後の可能性について話せた事は、このコンクールを通して得られた事です。その機会を与えて頂けた事に心から感謝しています。

Q)  結果がでるまではどのように過ごしていたのでしょうか。そして結果は。

原)今回ありがたいことに、ファイナルリストとして決勝進出となった上で多くの方の応援を頂きました。そして決勝当日にはハンガリー現地留学生・海外(ドイツ・イタリアなど)から30名の応援してくれる仲間が現地に駆けつけてくれました。出番が終わったらすぐに会場に行き、皆さんにお礼を伝えました。初対面の方もいらっしゃいましたし、とにかく感謝の気持ちを伝えました。結果発表はメディアも入っていた為、掲示ではなくステージ上での授賞式となりました。惜しくも入賞はなりませんでしたが、Peter Eötvös Contemporary Music Foundationより特別賞受賞及びセミナー参加権利。そして副賞として20182019 年度のバルトーク音楽祭(ソンバトヘイイ市)及びバルトーク・オペラフェスティバル(ミシュクロツ市)での指揮者としての招聘権利を頂きました。バルトークを習得する為にハンガリーに来た自分とっての最高の副賞となり、今思えばファイナルでバルトークを引いた時から、バルトークが私に次の課題を与えてくれたような気がしてなりません。

Q)  原口さんにとって今回は指揮者人生の一つの通過点であると思いますが、選択した道が何故指揮者だったのか、そして今後の目標・予定などを聞かせてください。

原) 指揮者を目指したのは少し遅い時期からでした。当時まだ私は高校の教員でありましたが、現在の日本の師匠でもある下野竜也さんのコンサートを聴きに行き、大変感銘と刺激を受けて、演奏会終演後に直談判したのがきっかけです。音楽を更に追及したいという気持ちが抑えられなくなり思い切った決断でありましたが、指揮者としての道を選びました。ハンガリーとの出会いは、高校時代に吹奏楽部の演奏旅行でハンガリー(ブダペスト市・デブレツェン市・ケチケメート市)に演奏訪問したことです。その際にハンガリー人の溢れすぎている温かい人間味に打たれ、いつかハンガリーで勉強したいという事は頭のどこかでうっすらと考えていました。それから音楽の教員時代には世界的にも有名なピアニストでもあったコチシュ・ゾルターン(Kocsis Zoltán)氏のバルトーク集のCDを良く聴いていました。なぜそうだったのかと言われると説明できないのですが、今思い返せば偶然が必然になったなと思うと感慨深いですね。そしてリスト音楽院指揮科に在籍し、大学院過程を卒業しました。ここではハンガリーを代表する名指揮者メドヴェツキー・アーダーム(Medveczky Ádám)先生との出会いが何よりも大きかったです。彼の元でもっともっと勉強したいと思いましたし、音楽院での指揮科のカリキュラムがとても充実していて、指揮者としての技術だけでなく指揮者として必要なスキルを様々な角度から学べた事に満足しています。活字にしてしまうと取り方も様々ですが、基本は“良い音楽家になりたい”です。引き続きバルトーク作品の研究は勿論の事、ハンガリーと日本両国の作曲家の描き伝えたい事(作品)に対して素直に表現出来るような指揮者でありたいです。私の敬愛するハンガリー人指揮者フリッチャイ・フェレンツ(Fricsay Ferenc)の御名前を頂き(ご親族様に了承いただいております!)、フリッチャイ・オーケストラ&アカデミーを設立し、洪日両国の多くの作品を披露できるような環境づくりを模索しています。また今後もコンクールやセミナーなど積極的にエントリーしていきたいですし、早速ですが201811月には第2回アンタル・ドラティー指揮者コンクールがブダペスト市で行われます。今回のコンクールでの経験を次の機会にいかせるようにしていきたいです。また、バルトークがそうしたように、ハンガリーの地方に赴き、現地の人たちとふれあうことで、人間としての魅力も養いたいです。
 
 

         

             写真提供@Andrea Felvégi ・ 
佐藤 絢晴

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